■「漢委奴國王」の金印は本物か?:「全体としての適切さ」からの判定

      

1 金印は怪しい

「漢委奴國王」の金印は本物であるらしいという話を聞いたことがあると思います。教科書でも本物を前提にしたお話になっていました。参考書でも本物だという扱いです。ところが、たぶん偽物でしょうという声がだんだん強くなってきています。

いまさらの感じもしないではありません。宮﨑市定の読者なら、とうの昔に偽物説に傾いているはずです。『古代大和朝廷』の序で、金印について[私はどうもこれは怪しいと思う]と記しています。これより前の『謎の七支刀』の序でも、疑問を呈していました。

[一世紀中葉に後漢の天子が、倭人の国の朝貢使に与えた金印が、その後千七百二十七年たって、都城があったとも思えぬ筑前の国の海岸から、ほとんど無傷のままで発見された]としたら[真に歴史上の一大奇蹟といわなければならない]と言うのです。

      

2 印文に不要な「漢」の文字

宮﨑は上記のように、発見の状況が明らかにおかしいという指摘をしています。しかしそれだけで「怪しい」と言ったのではありません。1960年の「世界史から見た日本の夜明け」(『古代大和朝廷』所収)に、その理由を記しています。

問題は「漢委奴國王」という[印文の示す意味]です。まず「漢」という字が問題になります。[中国の皇帝は、宇宙にただ一人存在し全人類の主権者たるべきものなので][漢皇帝というような表現を取]りません。「漢」の字があるのはおかしいでしょう。

[外夷の君長が、漢の辺臣、郡太守から印綬を受ける]のではなくて、[委奴国王の場合は、自ら大夫と称する使者が、洛陽に赴いて光武帝に朝賀した上で印綬を賜ったのであるから、そこに漢とあるのは、やはりおかしい]のです(『宮﨑市定全集21』p.226)。

      

3 判断基準となる「全体としての適切さ」

金印の「漢委奴國王」という印文には他の問題もあります。[問題は國という字で、国王という呼び方は後世になって普遍化したとなえ方で、漢代には、「委奴王」とよぶのが当然である]のです。ところがこの印文は後世の言い方の形式を取っています。

さらに[金印は国王でおわっているが、漢代の印の制度では、この下に章とか印とかの字が加わるはずである]。ところが「章」も「印」もついていません。「漢」が付き、「國王」とある点も含めて、[漢代印章の規格に合わない]のです(『全集21』p.227)。

最近の偽物説では、印の彫り痕の特徴が漢代のものと明らかに違っているなど、科学的な「考古学的方法」に基づく主張がなされています。しかし本物であるならば、印文が「漢代印章の規格に」合致しなくてはなりません。そうでなかったら偽物です。

宮﨑市定は「考古学的方法」に対して「文献学的方法」を提唱して、こちらを重視すべしと主張しました。これは七支刀の銘文を分析する際にも圧倒的な成果をあげました。全体が適切な文字・文と意味になるように構成されているか否かが判断基準になるのです。