■改善型の勉強:日本人学生と留学生

      

1 日本人学生と留学生

専門学校で一般教養科目の担当をしています。学生の様子を見に行くというのが目的でした。はじめは大学の公務員試験対策の講座を担当することで、目的が達成できるかとも思ったのですが、大きな教室での講義では、学生の雰囲気しかわかりません。

それで専門学校に行くことになりました。ここでは個人個人の様子がわかります。なぜか相性が良かったらしく、はじめは3年くらい様子をみられたらと思っていましたが、もう10年になります。日本人だけでなくて、留学生の様子がわかるのがありがたいことです。

毎年のことですが、1月初めの講義で、昨年末の復習のための簡単な演習を行います。日本人のクラスと留学生のクラスで同じ教材を使っていますので、講義内容はそう違っていません。しかし結果はかなり違います。日本人の方が落ち込みが少ないのです。

     

2 反復を嫌がらない日本人学生

日本語で記述された問題ですので、留学生たちにとってかなりのストレスがあるのでしょう。日本語がある種のネックになって、調子が出ないという感じがあります。しかし、それだけではありません。何というか、不安感の欠如という感じがあるのです。

一番留学生の多い、中国人の印象が強くなりがちですし、実際、不安感の欠如という傾向はおそらく中国人に顕著な気がします。しかしアメリカ人にも、ベトナム人にも、そんなところがあるように見えるのです。日本人学生の方が、やや悲観的な感じがします。

今日はできたけれども、この先できるかどうかわからないというのが、日本人学生によくある発想です。それで基本問題を繰り返します。わからないという意識がある人は、割合反復を嫌がりません。当然ながら、それでも忘れたということがあるのが普通です。

      

3 留学生の日本化

留学生に、同じ問題を反復してやるように言うと、たいてい、もうやったという反応が出ます。同じ問題を確実に早くできるようにしないとね、と言うと、一部のできる学生は猛烈なスピードで始めますが、のんびりペースの学生はかなり忘れているのです。

本人たちにも、ある種、意外な様子もあるのでしょう。本当に忘れているというのです。素直な自然な反応ですから、反復して演習した経験があまりないのかなという気がしています。大切なのは、「自分は忘れる」ということを発見している様子がある点です。

職人気質というか、同じことを繰り返しやってレベルを上げていくという様子を、日本人学生から感じることがあります。これは留学生を見ているからです。そしてかなりの留学生が、この点、日本人と同じように反復をやり始めます。ある種の日本化です。

こうした観察を安易に一般化はできないでしょう。ただの印象としていえば、日本人学生は改善型の方法をとります。飛躍よりも確実性を重んじる発想があるようです。それが全体の水準を上げています。いま、飛躍のための方法を見出そうとしているところです。