■よくできた哲学書の一筆書き:鷲田小彌太『超要約で世界の哲学を読む』

    

1 わかりやすいカント『純粋理性批判』の説明

鷲田小彌太『超要約で世界の哲学を読む』にあるカントの『純粋理性批判』の項目がとてもわかりやすく書かれています。かつて手に取って、読み続けられずにお手上げになった本です。解説書などを参照して、たぶんこうだろうという程度の理解でいました。

私たちが一番知っておきたいことが、この解説だけでも、かなりわかります。原典を読んで挫折するくらいなら、これを読んだほうがずっとよいということです。[経験論は、すべての認識は経験から発する、と言います][しかし、すべて]はおかしいでしょう。

▼第一に、感性(直感能力)に与えられた対象はすべて、空間と時間という形式の下にあります。経験的対象は、時間あるいは空間を離れては存在しません。この時間・空間という直観の形式は、経験的なものではありません。 p.94

      

2 経験に先立つ「時間・空間」

経験論哲学で困るのは、数学など客観的なものを説明しきれないことでした。カントは経験に先立つ[直観の形式]が「時間・空間」であり、[ア・プリオリ(先天的)で普遍的]なものだと言います(p.94)。つまり経験に先立つものは普遍的で客観的なものです。

一方、経験することは、ある時・ある場所でしかできません。時間が存在しないとか空間が存在しない対象の場合、[経験対象から先天的に排除する](p.94)ことになります。「経験対象」にするためには、「ある時・ある場所で」という条件が必要になるのです。

経験や出来事は、ある時・ある場所で起こるため、ビジネス文書などでは「時間・場所」の指定が不可欠になります。時間と場所を(必要に応じて「どんな場合」かを)明示することによって客観性を持った文書になり、その結果、伝達が容易になるということです。

     

3 カテゴリーと認識

判断能力は主観的なものです。判断の際には、[先天的で普遍的]なものが不可欠になるでしょう。実際[人間は、すべての対象を量や質や関係や様相の下でつかんでい]ます。[様相とは、可能性・不可能性、存在性・非存在性、必然性・偶然性のこと]です。

これらをカテゴリーと呼びます。[カテゴリーは、経験によって与えられたものではなく、先天的で普遍的]です。われわれはこのカテゴリーに依存して判断を行います。[カテゴリーなしに思考はできません]。以上から、認識のメカニズムが見えてきます。

私たちは[感性的対象を]、カテゴリーという[範疇=普遍で不変な認識形式]を使って[思考し・判断することで、認識(正しい認識)]を得ようとするのです。さらに[経験を超えた理念]である形而上学的主題まで考えますが、それは[認識できません](p.95)。

「超要約」の一部ですから、これだけではわかりにくいでしょう。ご興味ある方は、直接手に取ってみてください。100冊が見開き2頁で紹介されています。苦労して哲学の原典や解説書を読んだことのある「専門家でない人」ほど、ありがたみを感じるはずです。