■日本語の文法を考えるために:岩淵悦太郎『日本語を考える』

     

1 振り返るべき大切な本

岩淵悦太郎の『日本語を考える』は、はじめ『現代の言葉』という題で1965年に出版されたとのこと。初版のみで絶版になったものが、改訂されて1977年に講談社学術文庫に入りました。しかしこの文庫本も広く読まれたとはいえません。残念なことです。

たしかに一般受けする本ではありません。数十年前の日本語の本ですから、仕方ないのでしょうか。しかし最近の日本語についての本よりも、数段、良質なものだと思います。日本語の文法を考える際に、振り返るべき大切な本です。お勧めできる本といえます。

[多くの人は、それぞれ、言語に対してある種の規範意識を持つ]、それは[それぞれの生活経験や、読書や、学習などから]生まれるのでしょう(p.38)。時代とともに規範意識は変わります。そして言語を使う共通の基盤が出来た場合、収斂していくはずです。

      

2 品詞論の問題点

文法は[言語に内在するきまりであるから、言語である以上、どんな言語にも文法はある]のです。しかし[日本語には文法がないとか、文法を知らなくても文章が書けるとかいう考え]があります。ここでの文法とは「文法書」だと岩淵は指摘します(p.116)。

大正時代の日本語文法は[品詞論が主であり、ことに活用の暗記が中心であった](p.116)。[品詞に関する知識が不必要]ではないにしろ、[英語などと違って、日本語の場合、品詞論がすぐさま文の構成の説明に役立つとは限らない](p.117)でしょう。

品詞分類の基準が明確ならば、それは良いのですが、しかし例えば副詞の場合でも、[副詞というものをはっきりと規定していない](p.118)のです。品詞を基準にして考えることは難しいと言うことになります。それでは何を基準にしていけばよいのでしょうか。

     

3 基盤となるのは助詞・助動詞

岩淵は基本になる基準を明示していません。品詞ではないと記しています。そして[「に」と「へ」の混同][助動詞「う」の用法][「が」と「を」の問題]という見出しが見えます。助詞、助動詞が問題になると示唆しているようでもあります。

「明日は雨が降るでしょう」と「これから努力しましょう」の「しょう」には、ニュアンスの違いがあることを感じるはずです。前者は推量と言われますし、それが妥当だと思います。しかし後者の場合、どうも推量とは違う感じがするのです。

▼自分にだけ関することなら、それは、自分の決意を表すのにとどまるが、相手にも関係があることを言う場合には、自分の意思を相手に強制することになる。
さあ、一緒に出掛けましょう。
の場合は、相手を勧誘することであろう。 pp..125-126

パソコンやスマートフォンの普及によって、日本語の書き言葉にも大きな共通基盤が出来てきました。日本語のルール化も可能になってくるはずです。岩淵悦太郎の『日本語を考える』は、数十年前に出た本の中でも、いまだに読む価値のある本と言えるでしょう。

      

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