■岡田英弘の大胆な視点:事実の検証への不安
1 岡田英弘の大胆な視点
事実をもとに話を展開していくというのは、当たり前でなくてはならない原則です。しかし歴史の場合、わからないということがあります。わからない場合、わからないということが事実と言ってよいでしょう。ただ、まったくわからないばかりではありません。
日本古代史について、私たちは詳細を知りませんし、たぶん事実がこれであると明確にならないことがたくさん残るでしょう。それにもかかわらず、こうした事実があるから、こう考えられるという論証方法によって、ある程度、その確からしさが検証できます。
日本古代史について、岡田英弘は大胆な歴史観を提示してきました。『日本史の誕生』もその後に書かれた『歴史とはなにか』も一般向けの本です。わかりやすい記述が展開されています。ここで言われていることが確かならば、大胆な視点だと言えるでしょう。
2 『竹取物語』の作者
『日本史の誕生』で[中国人にとって、何かを書くという行為は、あるべきことを書くことを意味する](p.31)と言い、[「魏志倭人伝」が、三世紀の日本の内情を忠実に伝えているなどと考える人は、合理的精神の持ちあわせがない](p.34)と書いています。
「魏志倭人伝」のある『三国志』は285年のものです。岡田は1735年にできた『明史』での日本史の記述を示します。驚くほど不正確なのです。岡田の主張には根拠がありました。一方で『竹取物語』の執筆者を[紀貫之だったらしい](p.327)としています。
本当なら文学史の書き替えになるでしょう。岡田は『源氏物語』の「絵合」の巻にある「手は紀貫之書けり」とあるのを根拠としています。これは無謀です。貫之の筆記した『竹取物語』があったと、源氏に書かれているだけでは裏づけになりません。
3 事実の検証に不安
歴史について面白いと思わせるように記述することは大切なことです。意外性のある話は、興味をひきます。しかし事実であるかどうか、それが不安になるようでは、もはや歴史とは言えません。岡田の本に対して、どこまで頼りにできるのか、心配になります。
岡田は『古事記』を偽書だとも主張しています。(1)太安万侶が書いたとの確認ができない。(2)奈良朝の本に古事記への言及がない、(3)9世紀初めまで古事記が世間に知られていなかった、(4)日本書紀よりも内容が新しい。これらが根拠でした(pp..246-249)。
少し調べてみると、これがおかしいのです。太安万侶の序がアテにならないのは確かでしょう。しかし本文とは関係がありません。また万葉集に古事記への言及があります。一番の問題は、天皇の称号の原型が、古事記のほうに記述されているということです。
古事記での称号が、日本書紀ではすべて「スメラミコト」に統一されています。古事記の方が明らかに古い称号を保存しているようです。岡田は20代に学士院賞を受賞した秀才でした。しかしまだ他にも、事実の検証に不安な点があります。残念なことです。