■教育の一番本質的なこと:考えるように仕向けること

    

1 ドーマーのシュンペーター評価

『現代経済学の巨星 下』におさめられているエフセイ・D・ドーマーの文章には、興味深い話があります。「ハロッド=ドーマー・モデル」で知られた経済学者です。意外にもハルピンで生活をしています。そこからアメリカに渡り、学者の道を進んだのでした。

ハーヴァード大学でシュンペーターの講義を受けています。シュンペーターは[ケインズ経済学を、大不況から生まれたどちらかと言えば浅薄な教義](p.62)だとみなしていたそうです。ドーマーの方も、シュンペーターをそれほど評価していなかったとのこと。

[工業化諸国が失業で痛く苦しんでいるときに、大不況が過ぎ去るのを辛抱強く待てというのは、受け入れがたいもの]でした。しかし[技術面および制度面での変革を資本主義の本質そのものとして重視したこと]を評価するようになったとのことです(p.63)。

       

2 ランゲの教え方の主な弱点

ドーマーはシカゴで、1940年にオスカー・ランゲの教えを受けています。マルクス経済学と近代経済学を融合させたランゲを、[私が教えを受けた先生の中では最も素晴らしく愛すべき人物で、また何事にも整理が行き届いていた]と記しています(p.64)。

[彼の説明は、教科書を読んだり、あるいは討論の主題について考えたりさえする必要がないほど明快だった]というのです。しかし、ドーマーはこの点について、[これがランゲの教え方の主な弱点だったと言える](p.64)と記しています。なぜでしょうか。

[私が教えを受けた教授の一人が述べたことだが、教師というのは、自分の学生たちを「健全な混乱」の状態に置き去りにする方が、より効率的にその役を果たすことになるらしい]というのです(p.64)。自分で考える領域を残しておく必要があります。

      

3 教育の一番本質的なこと

ドーマーは[私の三人の偉大な先生](p.63)として、「シュンペーター、ジェイコブ・ヴァイナーとハルビンの法律教授ニコライ・ウストリアロフ」を上げていました。これらの人達の教育が、どんな風だったのか、前二者についてドーマーは記しています。

[シュンペーターのクラスのあとでは、私は、彼が述べたことを考えながら、ハーヴァードのキャンパスの中をいつまでも歩いたものである」(p.64)。[彼が次から次へと学生たちに向けて投げかける発想に耳をかすことは、私にとり楽しい学業](p.63)でした。

ヴァイナーのほうは[黒板に一つの文章を書き、それについてコメントするようにわれわれを挑発し、その上で、試しに発言するものがあれば物笑いの種にするのが常だった。彼を打ち負かすことが私の最大の野望となった](p.65)といった風です。

ヴァイナーの講義について、[これほど効果的な教育方法を考えることができるだろうか。それにしても、教師はヴァイナーほど意地悪になれるものだろうか](p.65)と書いています。自分で考えるように仕向けることが、教育の一番本質的なことのようです。