■立花隆の読み書きの方法:『「知」のソフトウェア』から
1 プリントアウトして見返すべし
ちょっと調べる必要があって、立花隆の『「知」のソフトウェア』を取り出しました。1984年の本です。久しぶりに読みました。アナログ的な仕事の仕方が、印象に残ります。古いというよりも、こちらの方が本格的だと思いました。最近は「楽」をしています。
たとえば、[ワープロに入れた文章を本格的に読み返すのは、スクリーンの上ではなく、かならずプリントアウトした上ですべきである](p.161)とありました。今やほとんどが、画面上で読むだけで済ませてしまっています。この文章もそうです。
ここでのポイントは、「本格的に読み返す」ということを、どの程度にとらえるかでしょう。雑誌の記事や書籍用の原稿書きであるならば、プリントアウトして、丁寧に見返した方がよいはずです。しかしすべての文章に適応するのは、行き過ぎの感じがします。
2 ノートをとるべき本
立花は、本の読み方について、いまでもそのまま通じそうな話を書いていました。[本を読む際に、ノートを取ったり、カードを作ったりということはしないほうがよい。時間ばかりかかって仕方がないからだ](p.101)というのです。
この文章があるパートの見出しは「始めからノートをとるな」となっています。まず読むことを重視せよということです。[どうしてもノートをとりたいというときは、必ず二度読みしてとるべきである](p.102)と記しています。
ノートをとるべき本というのがあります。いきなり、この本はいい本だから、ノートを作りながら読んでいこうというのは、おかしなことです。自分にとって、実際にノートをとるほど価値のある本など、読んだ本のうちのごくわずかなものでしょう。
3 集めた材料とその流れ
文章を書くことに関して、立花は「集めた材料」を重視します。あるいは習得している事項、自分のものになっている知識が大切です。それらがあるからこそ、文章が書けるということになります。材料があれば、あとは流れを作っていけばよいということです。
全体構想をコンテに書いてから文章を書くという方法を、立花は採用しません。材料を頭の中に入れておいて、それらを流れの中に取り込んでいきます。したがって、途中でどういう流れにしたらよいか、何度も立ち止まりながら、次を見つけていくのです。
▼コンテを作ろうが作るまいが、流れるものはそれまでに集めた材料である。良いものが書けるか書けないかという問題は、自分が集めた材料に最適の流れを発見してやれるかどうかという問題と同義である。 pp..167-168
良い材料を集めて、よい流れに乗せれば、良いものが書けそうです。ただ、立花は最初からよい流れを想定するのは無理であり、「材料を料理してやろう」でなく「材料に料理されてやろう」だと記します。料理されるという点を、もっと考えてみたいと思いました。