■助詞「に・と」「に・へ」の使い分けと文法知識
1 誤用を認めない立場
助詞「と」の概念について先週2回書きました。一言で言うと、「と」の機能は、その前後のものを一緒にするということになります。ところが、「ばったり友人と会った」と言うではないかという指摘がありました。ありがちなことなのでコメントしておきます。
「ばったり友人と会った」と言う人がいるからという理由で、それを認める考えの人もいるのでしょう。しかし岩淵悦太郎は『日本語を考える』で、「へ」と「に」の違いに言及して、認める必要なしとの見解を示していました。これが妥当な考えでしょう。
[童謡の「青い眼をしたお人形はアメリカ生まれのセルロイド日本の港へついた時」という「へ」は、本来なら「に」であるべきであろう]と記しています。アメリカから「日本の港」についたのですから、当然、正解は「に」です。岩淵の指摘は妥当なものでした。
2 「に」と「へ」の違い
岩淵は[「へ」が方向を表し、「に」が場所を表す]という言い方をしていました。もう少し補強すると、助詞「へ」は、今いるところを起点として、別の場所を示す機能を持つといえます。方向性(ベクトル)によって、場所を示すということです。
「どこか遠くへ行きたい」と言う場合、今いる場所から、別の場所に行きたいことを示しています。しかし、その場所が明確に決まってはいません。場所が決まっているなら、「どこに・行きたい」になります。「どこか遠く」は、明確な場所ではありません。
助詞「に」の場合、明確な対象を点として指し示します。指をさした対象が「に」です。外から自分のところにやってきた場合、対象地点には「に」がつきます。先の童謡では、外から「日本の港」という地点に「ついた」場合です。「へ」はつきません。
3 使い分けと文法知識
助詞「と」の場合、「と」の前後が一緒になります。「Aさんに/話した」ならば、主体者が一方的に行ったことですが、「Aさんと+話した」ならば、主体者がAさんと一緒になしたことです。この場合、後ろが用言なので「話した」のほうに重心が置かれます。
「Aさんに話した」の文末は「話した」、「Aさんと話した」の方は、このまま全体が文末です。「Aさん」+「話した」が一緒になって一体化したため「Aさんと話した」が文末であると考えます。いずれにしても、両者に機能の違いがあるということです。
「に/と」や「に/へ」の使い分けの問題は、きちんとした説明がなされておらず、面倒にも思えます。戦前にも問題があって、これを文法知識が解決したのでした。岩淵悦太郎は『日本語を考える』で、誤用を許容する方針が無効になった経緯を示しています。
▼明治38年に文部省から「文法上許容スベキ事項」というのが出ている。それは、たとえば、「…せさす」「…せらる」を「…さす」「…さる」としても差し支えないというようなものである。これは、その当時の文語文には、このような誤りが多かったので、それを習慣として許容しようとしたのであった。ところが、私などが中学校教育を受けた大正時代のころには、正しく「…せさす」「…せらる」とするのが普通になっていて、折角の「文法上許容スベキ事項」の大部分は、ほとんど死文になってしまっていた。これは、文語文法の知識が一般に広がったためといえるのではないかと思う。 岩淵悦太郎『日本語を考える』