■主題と主語の対比:金谷武洋『日本語文法の謎を解く』から
1 主題は場面を表現するもの
金谷武洋は『日本語文法の謎を解く』で「行為者不在文」という用語を使っています。「I see Mt.Fuji.」と「富士山が見える」を対比すればわかるように、[英語の例文はことごとく他動詞を使った積極的行為文(する文)である](p.54)。
当然、[日本語ではそうではない]のですから、英語と日本語の構造に違いがあることは間違いありません。金谷は[英語の「行為者」(主語)は日本語では「場所」(主題)となる](p.55)と言います。ここから金谷の飛躍が始まっていました。
▼主題は行為者(役者)を表すのではなく、その場面(舞台)を表現するのであるから、「ある言語」日本語にとっての重要な手段である。その舞台設定の主役が助詞「は」であることは言うまでもない。 pp..55-56 『日本語文法の謎を解く』
2 無理な英語・日本語の対照表
金谷は「主語のいらない日本語」という言い方をしています。なぜ日本語に主語が要らないのでしょうか。たとえば英語で「I want it.」というとき、日本語では「ほしい。」がそれに対応するからだというのです。ことごとくそうなると言いたそうに記しています。
▼主語のいらない日本語
(欲求) I want it ほしい。
(理解) understand 分かる。
(必要) need 要る。
(知覚) see 見える。
(知覚) hear 聞こえる。
(好き) like 好きだ。 p.57 『日本語文法の謎を解く』
「I need it」が「要る」になることはあるでしょう。しかし、いつでもそうなるわけではありません。文脈からわかる場合なら、これでもかまいませんが、「私は必要です」と書くこともあります。この場合の「私は」は主語でなくて、主題だというのでしょう。
3 日本語でよく使われる受身形
金谷の言うことには、無理があるのです。日本語では「私が必要です」と言うこともめずらしくありません。必要なのは誰かというと、その主体は「私」です。この場合、行為者不在とは言いにくいでしょう。「私は必要です」も、行為者不在なのか微妙です。
「私は」の場合、主題であるから[行為者(役者)を表すのではなく、その場面(舞台)を表現する]という説明も可能かもしれません。しかしこの場合に、「私は必要です」の「私は」が[行為者(役者)を表す]と説明しても、無理のない自然な説明になるはずです。
日本語では受身の形式がよく使われます。「富士山が見える」もその一つです。一般に誰が見ても見えるでしょうから、受身形はしっくりきます。文の主体が「富士山」になるのは自然です。「主語」を否定しようという意図が強すぎて、無理をした感じがします。