■主語概念を否定して混乱している日本語文法
1 主語=主体
日本語の主語概念が定まらないまま、通説的な見解では「主語」という用語なしで日本語を文法的に説明しようとしています。日本語文法の議論の過程で、様々な主語に関する見解が提示されすぎましたから、もはや主語概念を使うことは簡単ではないでしょう。
本来の主語概念というのは、そんなに複雑なものではなかったはずです。一言でいえば主体というべき概念でした。1982年版の『日本語教育事典』の「主語」の項目でも、この点に触れた説明になっています。佐治圭三の書いた説明の冒頭は、以下です。
▼一般には、文の成分の一つで、述語の表す意味(種類、属性、状態、情感、存在、動作、作用・変化など)の主体を示すものを言う。体言(及び、体言相当語句)に助詞「が」、あるいは、「は」、「も」のついた形で示されるのが普通であるが …[以下省略] p.173 『日本語教育事典』1982年版
2 『日本語教育事典』新版での変化
日本語文法に対する見解をみると、1980年代に大きな変化が生まれたようでした。2005年の『日本語教育事典』新版では、主語を独立した項目としてあげずに、「文の成分」の一つとして触れているだけです。この項目を森山卓郎が執筆しています。
▼文の成分として、議論されることが多いのは、主語、述語、述語に付随する補充成分、修飾成分、独立成分、複文構造における接続成分である。
たとえば「ああ、雨が降ったら、残念ながら運動会が明日に延期される」では、「ああ」が独立成分、「雨が降ったから」が接続成分、[運動会が]が主語(ただし受動文となっている)、「明日に」が「延期する」の補充成分、「残念ながら」が修飾成分である。 p.94 『日本語教育事典』2005年新版
ご覧のように、主語の説明はもはやなくなっています。本来の主語の概念がどうであるのかについて、もはや新版の事典ではわからないということです。主語の扱いに困って、主語を脇に置く感じでしょう。文法概念が混乱してしまったということです。
3 不安定な主題概念
新版では、主語を軽視するかわりに、主題について独立した項目をたてています。[主題というのは、その文が何について述べるかを示すもので、日本語では典型的には(1)のように「は」で表される]というのが野田尚史の説明です。
ここにいう[何について述べるかを示すもの]というのは、かなりあいまいな概念だといえます。それを補強するために「は」が付着する言葉だと書かざるをえません。それも「典型的には」と言い訳しなくてはならないのです。使いにくい概念と言えます。
主体ならば明確です。それを否定した後、代わりになる概念を提示できずにいます。主題の概念は、文法の基本成分になるほど明確ではありません。森山が書いた「文の成分」に主題が抜けているのは象徴的でした。日本語文法の基本がまだ不安定だということです。