■日本語の文末の省略について:カテゴリーの省略

      

1 「私はわからない」と「私ではわからない」

ホームページが少しずつ安定化に向かっています。ありがたいことです。もう少し見ていただくのにふさわしい形式にしたいと思っています。ここしばらく日本語の文法の連載が止まってしまっていました。少しだけ文法について、書いてみます。

二つの似た例文があったとしましょう。日本語ですから、私たちはそれらを使い分けられます。両者のニュアンスの違い、意味の違いも分かるはずです。そうやって使える以上、何ら問題ないように思います。しかし文の構造について、意外にも説明できません。

①「私はわからない」、②「私ではわからない」の二つの文は似ています。「私は」と「私では」の違いです。意味の違いも出てきます。①の場合、他の人のことは対象外で自分に関してわからないのです。②なら他の人ならわかるかもしれないと感じさせます。

     

2 破格がしばしば現れる漢文と日本語

こうやって二つの文を比べてみると、主体の扱いが違うのに気づくでしょう。①の主体者は「私」であって、その主体者が「わからない」のです。②の場合、「私では」となっていますから、主体者が「私」ではありません。②のほうは妙な文です。

日本語の場合、②のような破格の文がよく出現します。漢文でもよくあることのようです。『漢文法基礎』の加地伸行は[破格の構文は例外的なものだから、あまり気にしなくてもいいのではありませんか、という質問が出てきそうだ](p.469)と書いています。

これに続けて言うことは[矛盾した話であるが「あまり出てこない例外がよく出てくる」のでコマッチャウンダナァ]ということです。日本語の方が漢文の真似をしたのかもしれません。しばしば出てくるから破格でないという論理は成り立たないのです。

      

3 属するカテゴリーの省略

②の例文の場合、文末の省略と言ってよいでしょう。属するカテゴリーを記述しないで省略している形です。②の例文は、「(これは)私ではわからない(ことだ)」となるものでしょう。「わからないことだ」の主体は、「私」ではなくて、「これ」になります。

文末が「わからない」で確定なら、主体は人間です。誰なのかが問題になります。しかし誰に当たるはずの「私」に助詞「で」が付着していれば、「私」は主体ではありません。主体は「誰」でなく「何」でしょう。主体は記述されていない「これ」だとわかります。

「コンニャクは太らない」ならば、「太らない食べ物だ」といったところでしょう。「このクリームは肌にやさしい」の場合、「肌にやさしい製品です」からカテゴリーを省略した事例になります。文末の省略はカテゴリーの省略の場合に起こるということです。

      

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