■文型の要素となる必須成分:通説的日本語文法の基礎概念と判別法の弱点

       

1 必須成分と随意成分

日本語文法の通説的な見解を見てみると、「必須成分」とか「随意成分」という用語が出てきます。センテンスの基本形である文型を構成する成分は「必須成分」だということです。文型を構成しない要素が「随意成分」だということになります。

必須成分も随意成分も、述語と結びつく言葉です。したがって、たんなる修飾語句とは扱いが違います。「今日、私は隣町の県立図書館に出かけました」という例文があったとしたら、述語は「出かけました」になるのはわかるでしょう。

必須成分も随意成分も、この述語と結びつく関係があるということになります。結びつきがあるかどうかということは、述語と組み合わせてみればわかるはずです。「今日…出かけました」「隣町の…出かけました」「県立図書館に…出かけました」となります。

上記の4つの組合せのうち、「隣町の…出かけました」は結びつきがないというのはわかるでしょう。「隣町の県立図書館に」という結びつきですから、「隣町の」が「県立図書館に」を修飾していることになります。まあ、このあたりは、知っているお話でしょう。

      

2 必須成分と随意成分の判別法

では、必須成分と随意成分をどうやって区分するのでしょうか。例文つきで、わかりやすい通説の入門書に、原沢伊都夫『日本人のための日本語文法』があります。この本には、必須成分と随意成分の判別法が示されていますので、確認してみましょう。

原沢は「ティジュカでジョアキンがフェジョンをシキンニョと食べた」の例文を出して、必須成分となるのは主体の「ジョアキンが」と対象の「フェジョンを」であり、随意成分となるのは場所の「ティジュカで」と相手の「シキンニョと」だと記しています(p.25)。

これを判別するために、一つずつ要素を外していくのです。「ティジュカで」を外しても「ジョアキンがフェジョンをシキンニョと食べた」だから、問題なし、よって「ティジュカで」は随意成分です。おなじく「シキンニョと」も外して問題ありません。

一方、「フェジョンを」を外すと、「ティジュカでジョアキンがシキンニョと食べた」となって、何を食べたのかがわからなくて、文意がわからなくなります。ということは「フェジョンを」は不可欠な成分だということです。だから「必須成分」になります。

    

3 恣意的に扱われる主体

こうした方法で述語と結びつく言葉をとりだして、必須成分と随意成分に分けるのです。しかし困ったことが起こります。主体の「ジョアキンが」を外した場合、「ティジュカでフェジョンをシキンニョと食べた」となって、意味が通じてしまうのです。

「ジョアキンが」を外しても、文意がとれるのなら、それは「随意成分」になります。ところが原沢は、「ジョアキンが」を必須成分としています。[食べたのは誰なんだろうと思ってしまいます]と言うのです。しかし主体がなかったら「私は/が」になります。

通説的な日本語文法では、主体を表示しなくても日本語文は成立する点を前提にしていました。しかし必須成分を区分するときには、主体がないと文の意味が通じないと考えます。ずいぶん恣意的な区分法です。主体が必須な要素だと考えるほうが自然でしょう。

原沢は主体について、[意味的な重要性であって、文法的な関係において][特別な存在としては認めていない](p.18)と言いながら、意味的な判断区分法を使って、強引に必須だと言います。メチャクチャな話です。主体は文法的に必須だと言えばすむことでした。

      

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