■現代の文章:日本語文法講義 第26回から 「基礎概念の通説的見解」

 

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1 通説的見解の確認

一般の人たちや、ビジネスリーダーの人たちが、日本語文法の通説的な立場を知っているとはとても思えません。私だけではないと思います。基礎概念となる骨格の部分は、シンプルであるべきですし、実際その通りです。通説的見解を確認しておきたいと思います。

原沢伊都夫『日本人のための日本語文法入門』は通説的見解に立った入門書です。この本で基礎概念を見ていきましょう。原沢は[文の要は述語であり、その述語を中心にいくつかの成分が並んでいると考える](p.17)と説明しています。

さらに[日本語文法では学校文法のように主語を特別扱いしません。いくつかある成分の中の一つであるという考え](p.17)ですから、主語は基礎概念になりません。通説の立場に立つとどういうことになるのか、原沢が以下のようにまとめています。

▼日本語文の基本構造は述語を中心にいくつかの成分から構成され、それらの成分は格助詞によって結ばれています。格成分(格助詞によって述語と結ばれた成分)は述語との関係から必須成分と随意成分に分かれ、述語と必須成分との組み合わせは文型と呼ばれます。 p.50 『日本人のための日本語文法入門』

原沢はわかりやすいように、「パーツ」が「ボルト」で[述語と結ばれ]る関係という言い方をしています。各成分が、格助詞で述語と結びついているということです。述語の前にキーワードが並ぶということでしょう。このキーワードが二分されるというのです。

      

2 必須成分と随意成分の区分

必須成分と随意成分の区分を、原沢は例文で解説しています。「ティジュカでジョアキンがフェジョンをシキンニョと食べた」という文が、どういう構造になっていて、必須成分と随意成分は、どのように区分されるのかを、実際の例で確認しておきましょう。

ティジュカで (場所) 【随意成分】→ 食べた
ジョアキンが (主体) 【必須成分】→ 食べた
フェジョンを (対象) 【必須成分】→ 食べた
シキンニョと (相手) 【随意成分】→ 食べた

必須成分+述語で文型ができるのがルールです。場所をカットして「ジョアキンがフェジョンを食べた」でも文は成立します。ただ原沢のいう[絶対に必要なパーツ]という基準は微妙です。日本語の場合、「フェジョンを食べた」だけでも文が成立します。

原沢は、意味ではなく文法的関係で考えるべきだと書いていました。その通りでしょう。しかし必須成分と随意成分とを区分するときに使った基準は意味でした。意味が通じるかどうかで判定しています。判定が曖昧になるのです。通説の弱点というべきでしょう。

      

3 主題+コト+ムードの表現

原沢は、原沢は文型とは別に、「コト」という概念を提示し、[コトは文の言語事実を形成しますが、文としてはまだ未完成](p.50)だと書きます。コトに加えて、主題と「ムードの表現」が加わることがあるということです。4つの形態が想定されます。

▼【主題:~は】+【解説:「コト」+「ムードの表現」】
・【主題:~は】+【解説:「コト」】
・【「コト」+「ムードの表現」】
・【「コト」】

コトとは、たとえば「ティジュカでジョアキンがフェジョンをシキンニョと食べた」という例文全体です。これが「昨日は、ティジュカでジョアキンがフェジョンをシキンニョと食べただろう」となった場合に、「昨日は」が主題、「だろう」がムードになります。

通説の立場に立つと、文末は述語そのものの場合もありますが、「述語+ムードの表現」になることもあります。述語は「コト」内部の基礎概念であり、ムードの表現はそれ以外のものです。このあたりは自然な読み書きのときの立場と違うかもしれません。

さらに述語を「ボイス」「アスペクト」「テンス」に分けて考えるのも通説の立場です。私のみならず、多くの人が学界の通説を知りませんので、こうした通説の基礎概念を概略だけでも確認しておきたいと思いました。否定されるべき叩き台になるはずです。

    

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