■B6カードよりもB5ルーズリーフを使う理由:記述用紙の大きさについて

      

1 豆論文を書くこと

梅棹忠夫の『知的生産の技術』をかつて読んだ人も、もう一度読んでみると、時代の差があるだけに、本質がどこにあるかを考えることが出来るだろうと思います。記憶でこの本についておっしゃる方がいたために、確認するうちに再読することになりました。

<トランプのカードのイメージ:再読 梅棹忠夫『知的生産の技術』>で、[トランプのカードのように使える方法を考えたいと、連休中思っていました。ただしカードでない方法がよいのです。その理由はまたあとで書きます]と記しました。以下それを書きます。

梅棹は「発見の手帳」に[ちいさな論文-ないしは論文の草稿-となりうるような性質のもの][豆論文を][つぎつぎとかいてゆく](p.25)と記しました。[その原則はカードについてもまったくおなじである](p.55)とのこと。以下が事例として示されています。

▼-カードとフィルムとのアナロジー- 2/3
[一枚のカードに二つの内容はこまる]
一枚のカードに二つの内容が記入されていると、あつかいに こまる。
フィルムで二重写しをやったようなものだ。どちらにも利用できない。

     

2 細かすぎる情報は扱いにくいとの思い

事例を見ていただくとわかる通り、テーマの「カードとフィルムとのアナロジー」は3枚でひとまとまりになります。見出しは[一行サマリーといったもの]だそうです。ここでは、[一枚のカードに二つの内容はこまる]がそれにあたります。

おそらくほとんどの方が、カードに書かれた2行が「豆論文」だと言われても、困るでしょう。すくなくとも3つまとまっていて、はじめて「豆論文」にちかいものになる感じがします。それだけの内容があればこそ、連想が働くと思うのです。

B6カードは、私には小さすぎました。B5が最低の大きさです。A5のルーズリーフを使った時期がありましたが、私が思いつきを書くときには、一つの関連した思いつきに関して、しばしば一枚に書ききれなくなりました。ましてやB6カードは小さすぎます。

     

3 手書きと記憶と利用

全体を見通すほどでなくても、小さな論文を目指すなら、完結した何ものかを書くだけの広さが欲しいのです。だからカードを使いません。しかしまだ十分な使い方が出来ずにいます。トランプのカードのように、いくつかを並べて使える形式は魅力的です。

このときデジタル処理を考えるのですが、これには負荷がかかります。打ち込みのための労力がありますから、どうしたらよいのか、検討中です。ひとまずB5という大きさの統一をしています。このくらいの大きさの紙でないと、欲しい情報量が入りません。

手で書くこと、書いたことによって記憶されること、必要に応じて、何かあったなという程度の記憶が働くこと。これらがうまく回るスタイルが出来たら、自分の知的な生産も拡大するはずだと思いながら、この先を考えています。以上、まだ途中の話です。