■カード・システムの利用法:『梅棹忠夫のことば』から知的生産について

     

1 梅棹入門というべき本

梅棹忠夫という名前が忘れられてきたのは、仕方のないことなのでしょうか。何だかもったいない気がします。知的生産の技術という概念を作ったのは、梅棹でした。これはいまも大切な問題です。いまも自分自身、メモをどうしたらよいのか、苦しんでいます。

梅棹はカード方式を提唱したのでした。カードには発見を書くのです。書き写しは必要ないと梅棹は考えました。独創的であることが優先されます。そうして独創性のある発見が思い浮かんだら、捕まえておかなくてはならないのです。以下の様な文章があります。

▼独創はinspirationである。独創を活かすも殺すも、そのinspirationを捉えるか、逃がすかにある。 (雑記帳 一九四二年八月七日記)『梅棹忠夫のことば』p.10

梅棹の代表的な言葉を集めた『梅棹忠夫のことば』は梅棹入門によい本です。そこある言葉を見るだけでも、梅棹の基本となる考えは見えてきます。発見について梅棹は、もしそれが思い浮かんだとしても、そのままにしておけば、消えてしまうと考えるのです。

実際、記録しておかなくては思い出せなくなるリスクが高いでしょう。そのため[カードは、わすれるためにつけるものである]ということです(「知的生産の技術について」『梅棹忠夫のことば』p.30)。これを基本にすえて考えていくことになります。

       

2 カードの記述法

忘れることを前提にして、[つぎにこのカードをみるときには、その内容については、きれいさっぱり忘れているもの、というつもりで書く]ことが必要です。[自分だけにわかるつもりのメモふうのかきかた]では[何のことやらわからなくな]ります(p.30)。

カードに書き込むときに、他人が読んでも分かる程度の書き方をしておく必要があるのです。ただ梅棹は当初、手帳に何でも書きつけていました。それがノートでなくて、カードになったのは、なぜでしょうか。梅棹はこのことについて書いていません。

この点、カードをどういう方法で活用していたかがヒントになるでしょう。梅棹は[カードは一種のノートであるが、さらに、ノート以上のもの]だと言います。[随時とりだす][いつでもたちどころにとりだせる]という言い方をしているのです(p.34)。

ずらずらと書かれた文章では「とりだす」対象になりません。一つの発見を一枚のカードに記すこと、発見の中核を簡潔に記述することが必要です。1つか、せいぜい数センテンスで記述する形式のものならば、ノートよりもカードが便利だということでしょう。

      

3 カードの利用のしかた

梅棹の場合、カードを見たらすぐに、そこに書かれた内容がわかる状態にあったはずです。そうなると、該当のカードをどう見つけるかということが問題になります。この点、[適当な分類](p.34)が必要であり、[分類は、ゆるやかなほうがよい](p.36)のです。

梅棹がカードを使っていたときの様子を、自らが具体的に語っています。[わたしが「カード・ボックスのどの段のどのあたりに、こういうカードがあるはずだ」と指示すると、秘書の手によってまさにそのカードがかんたんにとりだせる](p.38)のでした。

カード・ボックスごとに、あるまとまりができていたのでしょう。カード・ボックスを確定し、その中のどのあたりにあるかを、梅棹は記憶していたということです。検索をかけるのとは違います。何を選び出すかは、本人の思いつき・発見、そして記憶が必要です。

     

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