■岡田英弘による世界史の理論:文明の生態史観の裏づけ

    

1 世界史の誕生

岡田英弘は「現代中国と日本」で世界史の誕生について語ります。[十二世紀までは、歴史の舞台は東アジアの中国とその周辺地域と、地中海沿岸だけだったのが、十三世紀にモンゴル帝国が出現してからは、ユーラシア大陸全体が一つの歴史の舞台になった]。

こうして世界史が誕生しました。[中国も、ロシアも、インドも、みんなモンゴル帝国が生み出した国家であり国民です]から、[現代のユーラシア大陸の国民国家のほとんど全部が、その起源をさかのぼると、モンゴル帝国から分かれてできたもの]と言えます。

中国の場合、1234年に華北がモンゴル領になり、1276年には華中・華南もモンゴル帝国の一部になりました。14世紀後半の明朝のとき[モンゴル帝国から分離しますが、明朝の制度は純然たるモンゴル式で、隋・唐の時代の制度に戻ったわけではありません]。

モンゴル帝国の特徴は、[遊牧・狩猟・農耕の各地帯にわたり、都市と商業交通網を通じて支配する、広域の帝国システム]をつくり上げたことでした。[治安の維持に熱心で、商業を保護したために、ユーラシア大陸の東西を結ぶ陸上貿易が大発展した]のです。

      

2 倭寇と大航海時代

ユーラシア大陸の東の[日本は、モンゴル帝国の外側に取り残されました。同じように、西ヨーロッパにも、モンゴル帝国の支配は及びませんでした]。その結果、これらの地域は、ユーラシア大陸の[陸上貿易の利権から締め出されます]。

1350年に[高麗王国の沿岸に倭寇が出現し]、[華北の沿岸から次第に南下して、華中・華南の沿岸に及び]、15世紀に一時停止したものの[十六世紀の半ばに再燃しています]。岡田は言います。[倭寇の本質は、西ヨーロッパの大航海時代と同じです]。

[倭寇も、ポルトガル人の大航海も、モンゴル帝国の大統一の副産物です]。ユーラシア大陸の陸上貿易の利権から締め出されたために、[日本人・ポルトガル人・スペイン人・オランダ人・イギリス人の海上活動がはじまる]ことになりました。

      

3 岡田史観の補強となる「文明の生態史観」

岡田は、モンゴル帝国という[世界で最後・最大の大陸帝国]の成立により世界史が誕生し、そのことが、対抗勢力である[海洋帝国の時代の幕を開ける結果にな]り、現在まで海洋帝国が優位になっていると見るのです。説得力のある視点といえます。

かつて梅棹忠夫は「文明の生態史観」で、ユーラシア大陸の両端である西ヨーロッパと日本を切り分けて、高度に発達した文明国家である第一地域とし、ユーラシア大陸を第二地域というモデルを示しました。二つの地域の特徴を示すことでモデル化したのです。

梅棹の生態史観は仮説モデルというべきものでした。しかし、岡田の史観には理論的根拠があります。「文明の生態史観」の裏づけにもなるものです。当然、岡田のものが本論であり、梅棹のモデルは、岡田の史観を補強するものと評価されるべきでしょう。