■堺屋太一による「知価革命」のエッセンス:『大激震』から

1 「知価革命」:著者の一筆書き

堺屋太一の代表作はおそらく『知価革命』でしょう。かつて読んだとき、よくわかりませんでした。少し前にもう一度ごく一部を読んでみましたが、この本を読むよりも、その後に出された本で、ご本人の解説を読むほうがよいのではないかという気になりました。

一言でいうと「知価革命」とはどういうものでしょうか。『大激震』で堺屋は言います。[この書物の中で、私は「今や人類の文明は大きく転換、物財の豊かなことが幸せなのではなくて、満足の大きいことが幸せになっている」と明言しました]。

幸せの基準を「物財」と「満足」で対比しています。物財というのは、車が何台、家の広さがいくつ、どの物質が丈夫かという客観的で科学的に評価できるものです。だから普遍的で世界中で同じ基準が使えます。[物財の豊かさは客観的で科学的で普遍的]です。

一方、[満足の大きさは客観的ではありません。流行とかブランドとかの値打ちは、人によっても時代や場所によっても違う]。[ブランドや流行は主観的]で、世の中の数%が同意する[いわば社会主観]です。満足は[主観的で社会的で可変的]といえます。

 

2 日本の凋落の本当の原因

物財は世界共通の基準で測定し比較が出来ましたが、満足はこれが一番というのは決められません。[満足には沢山の種類がある。人によって違う、場所によって違う、時期によっても違う]。そのため、そんなの私は嫌だと言われたら[それでおしまい]です。

堺屋は日本が「規格大量生産を目指した」ときのまま変わらずにいることが、[90年代以降の日本の凋落の本当の原因]だと指摘しています。従来からの延長線上で対応しても、もはや成功しなくなっているということです。成功体験が変化を妨げています。

知価革命によって、[世界中で宗教色が非常に強くなっているのも、主観の時代の現れなのです]。またスターウォーズやハリー・ポッターなどの[空想的な物語が次々とヒット]するのも[主観的に見る人がおもしろければいい]からだという説明になります。

国の運営も変化します。[官僚主導というのは成り立たない。官僚は組織とデータで客観性を主張するけれども、他人の満足に介入することはできません。もともと官僚は主観のない存在、組織としての客観性が誇りです]。これは日本への警告になっています。

 

3 多様な高齢者への期待

「団塊の世代」という言葉も堺屋の作った用語でした。[団塊の世代が受けた教育は、規格大量生産向きの人材を育てる没個性均質化の教育です]から、[1990年代にバブル景気が崩壊すると、団塊の世代にとっては]世の中に適応しにくくなったと分析します。

▼戦後の日本には「戦後型三角形」ともいうべき構造がありました。三角形の上の頂点には官僚主導・業界協調体制があります。大きな計画や目標は官僚が立案して指導する、それに合わせて既存の企業が談合して官僚の計画通りに過不足なく施設や生産を分担する、という形です。 『大激震』p.100

こうした体制なら、[製品は「コスト+適正利潤=適正価格」で必ず売れる]、[これでは、大企業が潰れるはずがありません。だから、大企業にお金を貸しても、貸し倒れになる心配がない。そんな状況が40年も続きました]。これが「日本式経営」の前提です。

堺屋は今後に悲観的ではありません。[これからは労働力が多様化する、それを適材適所で上手に使う]ことが勝ち組の条件です。中心になりうるのは自分の好きなことを続けた「多様な高齢者」だろうと指摘して、実践する個人の勇気に期待をかけています。

 

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