■小松英雄『やまとうた』をめぐって

 

1 従来の学説にとらわれない提言

小松英雄の『やまとうた』は、日本語史の専門家による「古今和歌集の言語ゲーム」(副題)です。従来の古今和歌集の読みの不十分さを提言する決定版になっています。その中核となっている主張は、<複線構造による多重表現>に注目すべしというものです。

<筆者は、日本古典文学や和歌に関してシロウトであるばかりでなく、いかなるジャンルの文学についても門外漢である。ただし、日本語による表現について素人であることは許されない立場にある>と宣言します。従来の学説に遠慮しませんよということです。

「奥山に 紅葉ふみ分け 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋は悲しき」の「ふみ分け」は、鹿がもみじを踏み分けていくのか、人が踏み分けるのかで学説が分かれます。こうした<和歌を単線構造として読んだ>学説では、せっかくの表現が台無しになってしまうのです。

 

2 表現の複線構造

小松は、カミングスの詩を引いて、表現が複線構造になっているところに意味があることを示しています。<Seeker of truth, Follow no path. All paths lead where Truth is. Here!>という詩は二通りの読み方が許容されます。それがこの詩の眼目です。

<Seeker of truth.Truth is here!>(真理の探究者よ。真理はここにあり!)という意味と、<All paths lead where truth is. Here!>(すべての径は導く、まさに此処へ!)という二つの意味が重なった構造になっています。これが作者の意図です。

「奥山に」の和歌を、一方の解釈だけがにしようとする単線構造の発想で読むと、作者の意図が読み取れなくなってしまいます。鹿が紅葉を踏み分け、また人が踏み分ける、<二首が一種に仕立て上げられているところに表現技巧の独創性がある>のです。

 

3 漢詩が表現形態の源流

小松のあげたカミングスは、1894年に生まれ1962年に亡くなったそうです。古今集の成立は912年頃とも言われていますので、ずいぶん先行していることになります。和歌の複線構造は、どのようにして始められたのでしょうか。この点、小松はふれていません。

参考になりそうなのが、加藤徹『貝と羊の中国人』に示された杜甫の「春望」の読み方です。「国破れて山河在り」の詩の、<時に感じては花にも涙をそそぎ、別れを恨んでは鳥にも心を驚かす>と伝統的に読み下される部分は、じつは複線構造になっています。

<春の鮮やかな花が涙で曇って見えるのは、自分が泣いているのであり、花も泣いているのだ。鳥のさえずりにはっと胸を突かれるのは、自分が感傷的であるだけでなく、小鳥も胸を痛めているのだ>…と。杜甫は<両方のイメージの錯綜を計算>して詠んでいます。

杜甫は8世紀の人(712~770年)です。<日本語は、世界的に見ても、かなり分析的な言葉>ですが、中国語には助詞がなく<大づかみ式表現>になりがちです。漢詩は、それを生かした表現をしており、古今集はその表現形態を取り入れたものと思われます。

 

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