■論理展開における事例の効果:高階秀爾『日本美術を見る眼』から

1 西洋美術研究者の日本論

日本や日本人にどういう特徴があるのかを論じるのは、簡単ではありません。あまりに一般化された日本論・日本人論などは、構成も要素も不安定で読む気にならないはずです。ところが何らかの専門分野に焦点を当てたものの中には、すばらしいものがあります。

具体的な検討材料をもとに展開する話は、それがよくできたものであるならば、論理構成を学ぶお手本になります。高階秀爾『日本美術を見る眼』は、西洋美術を研究する人が、西洋との対比をもとに日本美術について書いた本です。学ぶべき本だと思います。

例えば「枝垂れモティーフ」で高階は、日本の浮世絵から受けたモネの影響が、<異国的なモティーフではなく、画面構成という「美学」に、ひいては絵画のあり方そのものに、問題意識を向けている>ことに注意を促します。影響は本格的なものだったのです。

 

2 伊勢神宮は古い建物か?

『「もの」と「かた」』の章では、伊勢神宮と西洋建築をめぐって話が展開しています。<私自身、もともとは西洋の美術史を学んだものであるが、外国からの客人に対しては、当然のことながら、自国の文化の紹介者という立場に立たされる>のです。

パリから来た美術史の先生相手に、<自国の文化を、相手にも納得の行く論理で説明>することは簡単ではないでしょう。20年ごとに、<まったく同じように建て直されて、それが千数百年に及んでいる>伊勢神宮の建物を、古いと言ってよいのでしょうか。

例えば、イギリスの国会議事堂は火災で焼失後、19世紀半ばに中世のゴシック様式で建てられました。<しかしあの建物をゴシック建築の実例>とする人はいません。<19世紀の建造物>とみなされます。この論理でいくと伊勢神宮は新しい建物になりそうです。

西洋では、<建築はそれが実際に作られた時代の刻印をはっきりと残しているもの>なのに対し、<伊勢神宮は六十回にわたって再建されたにもかかわらず、一度も、実際に作られた時代の刻印を残してはいない>点に特徴があります。話はここから展開します。

 

3 安定した論理と明確な文章

伊勢神宮の場合、<本物がいたんできたからコピーで間に合わせるというものではない。新しく出来上がった瞬間に、それは「本物」となる>のです。こうした日本人のものの見方は、<コピーはコピー>と考える<西洋では不可解な論理>にみえるはずです。

日本人が本質と考えるものは、物質的存在ではありません。しかし、<西洋は物質的で日本は精神的だ>というほど単純ではありません。キリスト教の世界では、最後の審判まで<肉体は亡んでしまっては困>ります。霊魂のよりどころが物質たる肉体だからです。

日本人の考えでは、死んだ肉体はいわば死者の形見であり、<形見であるからこそ、品物であってもその役目を果たし得る>のです。「かた(形・型)」というべき、<日本特有の「役割意識」>がありそうです。伊勢神宮の建て直しも、その一例なのでしょう。

「記憶の遺産」の章で、西洋画の「四季」の絵は独立した4枚の絵なのに、日本の「四季絵」は一画面に連続して描かれる…との指摘が、伊勢神宮の話につながっていきます。具体的な絵画・建築をもとにしているため、論理は安定していて文章も明確です。

 

4 たくさんの事例を知る優位性

具体的な美術品相手ならば、これはどのくらいの頻度で存在するとか、日本だけのものではないとか、かなり正確に言えそうです。膨大な作品を見ている専門家の強みでしょう。多数の事例をもとにした、ある種の定量化が論理に安定性を与えています。

西洋美術史の専門家として、たくさんの具体的な事例を、丹念に他との関係性まで意識して見ていたからこそ、高階は、明確な文章が書けたのでしょう。多くの日本人論が危ういのは、裏づけの事例の正確さと事例の数が足らないためだろうと思います。

文章を作るためには、「素材」が必要です。さらに、素材を組織化して(組み合わせて)構造にすることが必要です。高階の場合、膨大な素材から、筋のよい少数の構造を作り出して示しているといえるでしょう。たくさんの事例を知る優位性があります。

 

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