■理論の裏づけ、正当性の証明のために利用されたセザンヌ
1 「印象主義を堅固で永続的なものに」
セザンヌは近代絵画の父とか、現代絵画の父と呼ばれ、画家たちから特別な敬意を持たれています。先日、自分はセザンヌが好きではないけれども、見なくちゃいけない画家だという話を聞きました。セザンヌはポスト印象主義の画家だといわれています。
「印象主義を美術館の芸術のように堅固で永続的なものにしたかった」とセザンヌが語ったと言われましたが、『セザンヌー近代絵画の父、とは何か?』に、モーリス・ドニが[セザンヌのものとして紹介した言葉](セザンヌ基礎知識 p.3:工藤弘二)とあります。
[ドニは世紀初頭においてセザンヌを神格化した立役者のひとり](p.3)であり、[セザンヌを礼賛したのは、自らの制作理論の正当性を証明するためであり、そうした解釈が恣意的なものであったことについては、晩年のドニ本人が認めている](p.4)とのこと。
2 「自然に即してプッサンをやり直す」
ドニの言葉はさらに展開して、セザンヌが「自然に即してプッサンをやり直す」と語ったという話になっていきます。[典拠はおそらくエミール・ベルナール](p.6:浅野春男)であり、セザンヌ本人の言葉ではないのです。シオドア・レフの研究があります。
▼レフはセザンヌ自身の文章である書簡中にプッサンへの言及がないこと、そしてセザンヌのデッサンを検討すれば画家がむしろミケランジェロ、ルーベンス、ピュジェ、ドラクロワを好んでいたことは明白だとする。セザンヌのプッサン頌は、画家自身のものであるよりも、彼について語った第三者の意見を反映させた可能性があり、また20世紀におけるプッサン再評価の高まりと軌を一にするところがあったという。 p.7
「やり直す」には「作り直す(refaire)」とか「命を吹き込む(vivifier)」などのバリエーションがあって、[単純な賞賛とはみなしがたい][敬意を抱きながらも、その作品を批判的に継承し、凌駕することを求めていた]と解釈するのが妥当でしょう(p.7)。
3 「自然を円筒、球、円錐によって扱いなさい」
「自然を円筒、球、円錐によって扱いなさい」というセザンヌの言葉は、ベルナールへの手紙にある一節です。これが[<自然形態を幾何学形態で置き換えなさい>という意味で言葉を発したとして]、キュビズムを生むスローガンにもなります(p.8:永井隆則)。
しかしこれはセザンヌの真意とは違ったものでした。セザンヌの考えは、[平たい面もまた、異なった色調の複数の面からなり、決して平坦ではなく、「球体と円錐と円筒」が典型的なように、曲面として表象されなければならないという事](p.9)でしょう。
▼オレンジでもリンゴでも球でも顔でも、そこには一つの頂点があります。そして、この点は、光や影や彩る感覚が及ぼす恐るべき影響にもかかわらず、我々の目に最も近い。諸事物の縁の部分は、水平線上に置かれた中心に向かって逃げていく (1904年7月25日付のベルナール宛の手紙:p.10)
[自然を色調の変化で表現すべき][物体を量感として把握する必要性を説くために3つの立体を挙げた][自然を色彩の面の集合体で描く]ということなになります(p.11)。キュビズムの画家たちは、自分たちの理論を打ち立てるために、あえて誤読したのでした。
