■ルネッサンスの時代精神「合理主義の精神」:高階秀爾『ルネッサンス夜話』から
1 合理主義の精神
ある概念を説明しようとすると、抽象的な説明だけでは、どうしても伝わらないことが良くあります。どう説明するかが問題です。うまく伝わるようにできたら、それ自体が大切なスキルといってよいでしょう。こうしたスキルを磨いていきたいものです。
自分がうまく説明できていないことを、誰か、上手に説明しているのではないかと、そんな気持ちをどこかに抱きながらすごしていると、いつか何らかのヒントが見つかるかもしれません。実際、そんなつもりでないところで、見事な事例に出会いました。
高階秀爾が『ルネッサンス夜話』の「一市民の日記」での解説がそれです。合理主義の精神を取り上げ、[別の言葉で言えば、世界を見る新しい目といってもよい](p.54:1979年版単行本)と記しています。そこでの説明を見て、うまいものだと思いました。
2 神の栄光と自然の理法
新しい視点でモノを見ると、同じようなものでも、見え方が違ってきます。14世紀末に完成した『聖フランチェスコの小さい花』と、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519年)の手稿を対比して、高階は、両者の視点の違いを、さらりと一文で記述しているのです。
▼一輪の野の花を前にして、そこに神の栄光を見ようとする意識と、自然の理法を探ろうとする精神とは、明らかに違うと言わなければならない。 p.55 『ルネッサンス夜話』
両者には、断絶があります。しかし[世界そのものは、たとえば自然の姿は、それほど大きく変わっているわけではない](p.54)のです。両者には[連続する面のあることもたしか](p.55)です。この断絶と連続との関係は、どういうものなのでしょうか。
3 時代精神の転換がもたらした大きな変化
世の中の流れの中に、ある種の志向が生まれ、それが急速な展開を示すことがあります。こうした変化は、どのようにもたらされたのか。高階は、連続的なものがもたらした変化について、アーノルド・ハウザーの言葉を引きながら、この間の事情を説明します。
▼ハウザー自身、ルネッサンスとは、「資本主義的な経済組織、社会組織を目指して進んで行く中世の発展傾向を、ただ合理主義の面で深化させたものにすぎない」と述べている。 p.55 『ルネッサンス夜話』
実際、[為替手形や複式簿記も、中世末期にすでに萌芽として存在していたものを体系的に「深化させたもの」にほかな]りません。しかしまた、[為替手形のシステマティックな利用や複式簿記の採用は銀行の活動形態をすっかり変えてしまった]のです(p.55)。
これが15世紀から16世紀ルネッサンスの「時代精神」でした。合理主義の精神が、じっくり連続的に作用していくことで、世の中を大きく変えていきます。そこには「神の栄光を見ようとする意識」から、「自然の理法を探ろうとする精神」への転換があったのです。
