■プラトンの「イデア」とセザンヌとマチスの言葉
1 プラトニズムとユダヤ思想
プラトンの「イデア」という概念を理解しようとして、絵画の方からアプローチしてみようかと、あれこれ考えています。これも簡単ではありません。このとき、どうしても気になることがありました。プラトン哲学についての木田元の『哲学散歩』での発言です。
▼プラトニズムはキリスト教はみごとに結合する。キリスト教はプラトニズムによって理論的支柱を与えられ、プラトニズムはキリスト教の信仰に乗っかって普及していった。以後両者は、互いに支え合いながら西洋文化形成の設計図として機能し、現代の巨大な技術文明を生み出すことにもなる。 (p.14 『哲学散歩』)
しかし、この結合は妙だというのが木田元の感触です。[この両者の結婚はうまくいきすぎているところがある。どうも私には、初めからプラトンその人のもとでユダヤ思想との接触が行われていたとしか思われないのだ](p.15)。そう言われると、そう思います。
2 永遠に変わらない真の姿・形
木田元は、プラトンの「イデア」について、[永遠に変わることのない事物の真の姿・形]と説明していました。[純粋な二次元の平面に幅のない線で描かれた三角形のような超自然的な存在であり、これを拠点にして考えていくのがイデア論]です(以上、p.10)。
▼古代日本人の自然観にも似た、すべてのものを生きて「なる」ものと見る有機体論的な自然観を、古代のギリシア人も抱いていたのであろう。/そこに、まったく異質なものの考え方、いわば超自然的(メタフユシス)な原理を設定し、それを拠点にしてすべてを考えていく超自然的(メタフィジカル)な思考様式を持ち込んだのがプラトンなのだ。 (pp..11-12 『哲学散歩』)
こう考えると、『西洋哲学史』の今道友信の説明が、より一層納得できます。[神の創造の原型になるようなもの、別の言葉で言えば、創造するときの設計図のようなものがイデア](p.60)なのです。超自然的な神の設計図がイデアであるということになります。
3 画家たちとイデア
こうした超自然的な神の設計図というものは、目の前に見えるそのものではないでしょう。簡単に認識できそうにありません。「よく見れば見えて来るもの」ではないようです。では、どうやって認識したらよいのでしょうか。今道友信は解説しています。
▼神がかりになって、その神の力量にとらわれた状態になり、そこで、神しか見ないイデアそのものを見ることができる状態のことだ、と『パイドロス』のなかでプラトーンは説くのです。 (p.62 『西洋哲学史』)
ここで気になるのは、『画家のノート』でのマティスの言葉です。≪モネ達は移ろいやすい印象を描いている。しかし、所詮、風景の素早い翻訳はその持続の一瞬しか表現しない。私なら、その魅力を失うことになっても、永遠を手に入れたいものだ≫と言います。
印象では永遠を手に入れことができないのでしょう。セザンヌも言います。≪モネは一つの目にすぎない。しかしそれは素晴らしい目だ≫。マティスもセザンヌも、イデアを見出して、永遠を見出すことを狙っていたのでしょうか。どうも、そんな気がするのです。
