■今道友信の『西洋哲学史』:よくできた講義録を読む楽しみ

      

1 連続講義のテープ起こし

お盆休みの息抜きに、今道友信の『西洋哲学史』を手にとりました。有名な本のようです。いままでパラパラめくっただけで、読まずにいました。まだ全部読んだわけではありませんが、しかしたぶん、この調子だと、時間のある時に全部読んでしまうでしょう。

300頁を少し超える分量ですが、とにかくすらすら読めるのです。連続講義をテープにとって、文字おこししたものだからでしょうか。何で今まで読まなかったのかと思います。基礎知識を得ることも可能ですが、それより、話の展開を見ていくだけで楽しいのです。

古代前期を読むうちに、カントをどう語っているのだろうかと、近代に飛んで、そこを読みました。関連の頁は30頁足らずですが、この部分だけでも十分満足できるでしょう。講義録ですので、自分のペースで行きつ戻りつ、講義を味わうことができるのです。

     

2 クリティークとは、よいものを選び抜くという意味

今道は、カントの三大批判の[いずれもがもっているクリティークというのは日本語で「批判」と言われておりますが、日本語の批判]とは違うと言います(p.290)。日本語の批判は、社会的に地位の高い人が、地位の低い人に、勧告したり批評することです。

[批判という日本語はもともと優位に立つ者が劣位者の作品の欠点を非難して価値を判定するという言葉](p.290)でした。一方、「クリティーク」という言葉は、[よいものを選び抜くという意味](p.291)です。カントもそういう意味で使っています。

▼今まで形而上学は学問の道を進んでいなかったが、数学と物理学とは学問の道を進んでいる。そういう学問がなぜ可能になっているかを分析して、そのしかる所以を模範にして、形而上学に応用することができれば新しい形而上学への手筈が整うことになるという意味で、『純粋理性批判』という題の書物になっていると考えたらよろしいかと思います。 p.291

     

3 「アプリオーリー」とビジネス

経験に先立つ「アプリオーリー」こそが、数学や物理学を成立させたのです。[空間と時間というアプリオーリーな純粋直観が数学を可能にしていく条件である](p.296)。空間や時間は、客観的な基準になります。人それぞれで異なる経験的なものではありません。

当然ながら、[数学命題はつねにアプリオーリーすなわち先天的な判断であって、経験的な判断ではない](p.294)ということです。各人の経験に基づくのならば、主観的なものになってしまいます。先験的な客観基準として、カントは空間と時間を採用したのです。

今道の本で、カントが科学性を哲学に導入しようとしたことがわかります。『純粋理性批判』という題名の中の「批判」は、日本語のような意味ではなくて、[よいものを選び抜くという意味]でした。先進学問を取り入れて、哲学を発展させるということです。

私たちは、ビジネスでも、空間と時間である「いつ・どこで」を問題にします。これがビジネスでも、前提となる条件です。今道友信の『西洋哲学史』は、丁寧に読んでいく価値のある本だと思います。簡単には聴講できなかったはずの講義が、気楽に読めるのです。