■日本語文法の基礎:品詞概念の優先度

     

1 形容動詞という品詞(?)

日本語にはまだ明確な品詞概念が確立していないようです。形容動詞を認める人たちは、活用語という前提で考えています。しかし、どう考えても活用形などありません。「幸福な」とは言いますが、終止形は「幸福」でしょう。「キュート」と同じはずです。

「キュート」という言葉に「な」とか「に」がついたものを形容動詞と呼ぶのは妙なことでしょう。品詞分類と機能とを混在させて考えると、混乱します。漢文の場合、使われる漢字に活用がありませんから、機能をもとに動詞だ、形容詞だ、名詞だ…と言えます。

英語の場合でも、形容詞が活用することはありません。「cute」は活用しませんが、名詞を修飾するので形容詞です。しかし日本語の自立語の場合、活用を無視するわけにはいきません。活用の有無によって用言と体言に区分され、品詞分類の前提になっています。

      

2 形容動詞の「活用形」(?)

日本語では、動詞も形容詞も活用しますので、当然ながら用言です。「キュート」は活用しませんが、「キュート+な」ならば名詞を修飾します。一方、「キュート+に」ならば「なる」が続いて、「医者になる」「水になる」と同じなので名詞でしょう。

「幸福になる」「幸せになる」も同様です。「幸福な」ならば、名詞を修飾します。「幸福になる」の場合、「幸福」は名詞でしょう。無理やり形容動詞だと認定して、そのために「―だろ/だっ・で・に/だ/な/なら」などという活用形を作る必要はないのです。

「きれいだろウ・きれいだっタ・きれいでナイ・きれいにナル・きれいだ・きれいなトキ・きれいならバ」とは言えます。ならば「医者」も「医者だろうウ・医者だっタ・医者でナイ・医者にナル・医者だ・医者のトキ・医者ならバ」と活用するのでしょうか。

     

3 品詞と活用の有無

日本語の場合、用言・体言の区分が品詞分類に優先して扱われますし、それ自体は妥当なことです。そして重要なのは、活用の有無は形式的に客観的に判別できる点でしょう。「である/だ」がつくかどうかで判別できます。つくなら体言、つかないなら用言です。

「医者である/医者だ」「幸福である/幸福だ」「キュートである/キュートだ」なので「医者」も「幸福」も「キュート」も体言になります。一方、「美しい」や「白い」などの形容詞の場合、「美しいだ」「白いだ」と言えません。形式的に決まるのです。

日本語で読む場合に、まず意味が認識され、活用の有無が意識されます。たとえば「ある/ない」は存在に関わる言葉であると認識され、ともに活用形があると意識されるはずです。こうした共通性から、両者がペアになる言葉と扱われるのは自然なことでしょう。

存在の肯定と否定をするペアの言葉でも、「ある」は動詞、「ない」は形容詞です。「きれい」と「きたない」も、ある状態・評価を肯定・否定するペアの言葉ですが、動詞と形容詞になります。日本語では品詞よりも活用の有無が意識されるということです。

      

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