■らせん階段を上がるような反復:よい仕組みと感性

   

1 絵を見る人と仕事の関係

教え子の中に、絵を見るのを楽しみにする人たちが出てきました。面白いことに、絵を見るのが好きだと言って、よく出かけてくるのは、みな仕事でも順調に実力をつけている集団です。仕事の出来・不出来が、そのまま反映していることに驚くしかありません。

何となくわかる気はします。感性の問題でしょう。何回も見ているうちに、何かを感じ取ります。若いということもあって、それだけ感覚が鋭く反応してくるようです。みょうなことも言いますが、だんだん、なんだかわかってきたと言い出すことになります。

全てがロジカルに進まないのが仕事です。したがって論理ばかりでは、何か突破できないという感覚があるのでしょう。そういうことを感じ取る能力が必要です。ある程度実力がついてきたら、ロジカルに考えるのではなくて、感覚が先に来ます。

     

2 カンが働き、それを読んでいく過程

本物のプロなら、先に思い浮かぶことがあって、そのあとをロジカルに検証するということになるはずです。米長邦雄は『<カン>が<読み>を超える』という対談集を出しています。この題名がそのまま、プロの思考経路を表しているでしょう。

先にカンが働くのです。そのあとを、読んでいくことになります。仕事でも、ある程度高度な話になってきたら、まず先に感覚的にある程度わかってくるはずです。それを検証する、あるいは詰めていくという流れになります。積み重ねによる感覚が大切です。

たぶん若者たちは、何か感覚的なものを身につけようとしていて、その手ごたえが欲しいのでしょう。質の良い絵の展示を見つけて、こんなのがあるよと言えば、相当無理してでも出てきます。それを繰り返すことで、何かを獲得している感覚があるのでしょう。

     

3 理想的な仕組みのイメージ

私たちには、ある種のルールが必要です。それを守るためには、自然に守れるようにする仕組みが必要になります。そうやって、自然にルールに沿った動きをしていると、何かを感じてくるようになるはずです。それが実力につながってくるでしょう。

質の良い仕組みが構築できたなら、感覚的な仕事が出来るようになります。繰り返される過程で、さらにその先のものを見出すことになるはずです。ただの反復ではなくて、らせん階段を上がるように繰り返されるのが、よい仕組みだと言えます。

絵を見るのなら、よいモノを見ないといけません。感性を磨こうとして、あちこち出かけるのなら、見るべきものは本物といえるものでしょう。仕事をするなら、プロ仕様の仕組みにしておかなくては、もったいないことです。そうでなくては実力養成になりません。

繰り返されるものが退屈でなくて、日々の発見につながる新鮮な反復だと感じさせるものだったなら、それは理想的な仕組みだと言えます。創造を阻害する反復は、組織にとっても損する仕組みです。カンの方がつねに高速で、正解率が高いといえます。