■『福翁自伝』の文章:特別な名著
1 現役として生きていく本
少し前に必要があって福沢諭吉の自伝である『福翁自伝』を読みました。全部を読んだのではなくて、最初は調べていたのです。しかしそのうち、あるところから読み始めました。とにかく文章がよいのです。これが1899年に刊行されたとは驚きます。
100年前の文章が苦労なく読めるのです。語り口調だからでしょうか。しかし、考えもなしに話しただけでは、ここまで充実した内容になるはずもありません。ここまでの情報量を盛りこむことは簡単ではありません。福沢に語るべきことがあったということです。
この本を読んでいると、この時代の動きがそのまま感じられます。語られる内容が興味深くて、文章がよいのです。この作品は、今後も読まれることでしょう。明治時代のもので、今後も現役のまま生きていく本など、他に夏目漱石くらいしか思い浮かびません。
2 明確で論理的な文章
私が読んでいる旺文社文庫には、時事新報社の石河幹明が書いた初版序が(原文のまま)と注記された上で、はじめに置かれています。『福翁自伝』が出版された経緯がどうであったのかがわかると同時に、当時の文章がどんなだったかもわかるでしょう。
▼兼てより福沢先生自伝の著述を希望して、親しく之を勧めたるものありしかども、先生の平生甚だ多忙にして執筆の閑を得ず、其儘に経過したりしに、一昨年の秋、或る外国人の需に応じて維新前後の実歴談を述べたる折、風と思ひ立ち、幼児より老後に至る経歴の概略を速記者に口授して筆記せしめ、自から校正を加へ、福翁自伝と題して、昨年七月より本年二月までの時事新報に掲載したり。
口述筆記ということになります。ただ読むうちに、福沢の語りは、当時の普通の話し方とはかなり違ったのではないかという気がしてきました。外国語を学んだ人の語りというとヘンですが、誰がどうしたのか、何がどんななのか、それが明確で論理的なのです。
▼中津にいて、十六、七歳のとき、白石という漢学先生の塾に修業中、同塾生の医者か坊主か二人、至極の貧生で、二人ともあんまをしてしのいでいるものがある。そのとき、私はどうでもして国を飛び出そうと思っているから、これを見て大いに心を動かし、コリャ面白い、一文なしに国を出て、まかり違えばあんまをしても食うことは出来ると思って、ソレカラふたりの者にあんまの法を習い、しきりにけいこをしてずいぶん上達しました。 p.325 旺文社文庫
現代の文章とは違います。しかし言っていることは伝わる文章です。言文一致でまだ苦労していたときに、しゃべったものが文章になっています。現代の文章の源流かもしれない夏目漱石『三四郎』が書かれたのが1908年ですから、この10年前の文章です。
3 何かを感じさせる特別な名著
先に引用した『福翁自伝』の文章は、2文からなっています。あとの文章を見ると、現代の文と較べて、かなり長いのに気づくはずです。センテンスの意識がまだ明確でなかったのかもしれません。一段落が一文になっている感もあります。
▼これが故人の伝を書くとかなんとかいえば、何々氏つとに独立の大志あり、年何歳、その学塾にあるや、あんま法を学んで云々なんと、しかめつらしく文字を並べるであろうが、私などは十六、七のとき大志も何もありはせぬ。ただ、貧乏でそのくせ学問修業はしたい、人に話しても世話をしてくれる気づかいなし、しょうことなしに自分であんまと思いついたことです。 p.325 旺文社文庫
率直なもの言いが、この書物の魅力になっているようです。決まりきった形式に対して、自然なかたちで距離をとりながら、自分の思いを正直に語っているのを感じます。ことに文末のつけかたが見事です。語るべきことのある人が、遠慮なく話しています。
福沢は上記の引用の後、[およそ人の志はその身のなりゆき次第によって大きくもなり、また小さくもなる]と語ります。福沢の一生を思い返させるとともに、読者も自らのことをふりかえって、何かを感じることになるでしょう。特別な名著だと思います。