■共通日本語の成熟:「現代の文章:日本語文法講義」第9回の概要
1 新しい文語はどのように発展したか
セミナーのテキストが少し難航しています。連載のことが気にかかっているのかもしれません。長くなったので途中で区切ってしまいましたから、残りをアップしました。これで一区切りになります。ここから徐々に日本語の文法の話になるはずです。
亀井は『日本列島の言語』「日本語(歴史)」で、「漢字文」と「仮名文」のふたつの文章体の形式が並列する[二重文語性は、この時代に至って崩壊し、文語は一本化した][古い文語がすたれて、新しい文語が生まれた](p.149)ことを指摘しました。
亀井は同時に、[新しい文語がどのようにして起こり、どのようにして発展していったかは、じつは、よくわからない](p.150)と記しています。ただ、新聞と教科書の影響は大きかったろうと記していました。この点を、司馬遼太郎が考察しているのです。
2 桑原武夫と司馬遼太郎の1971年の対談
司馬は桑原武夫と、1971年に「“人工日本語”の功罪について」という対談を行いました(『日本人を考える』所収)。この対談での結論は、日本語が[理屈も充分喋れて、しかも感情表現の豊かな言語になる](p.245)ことが必要だというものでした。
新しい日本語では、一つの文章体で論理的な理屈も表現できて、自分の感情も表現できるようにならないといけないということです。司馬にとっても記憶に残る対談だったのでしょう。その後、講演で桑原に言及しながら、日本語についての考察を述べています。
司馬は1975年に「全国大学国語教育学会」で講演をしました(『司馬遼太郎全講演[2]』 )。1971年の対談をふりかえった内容がこの講演のポイントです。1975年時点で[「共通の日本語」というものを][つくりつつある](p.23)のだと語りました。
3 「共通日本語」の成熟
1982年には「文章日本語の成立」という講演を行っています。そのものずばりの題名でした。題名の「文章日本語の成立」とは[共通文章日本語の成立]のことだと冒頭で説明しています。講演の最後で、それがやっと出来上がったのではないかと語るのです。
▼共通語ができあがると、だれでも自分の感情、もしくは個人的な主張というものを文章にすることができる。文章にしなくとも、明治以前の日本人と違って、長しゃべりをすることができる。そういうようなスタイルが、共有のものとして、ほぼわれわれの文化の中には成熟したのだろうという、生態的なお話を今日は聞いていただいたわけであります。 p.198 『司馬遼太郎全講演[2]』朝日文庫
司馬のいう「共通の日本語」というのは、亀井の論考でいう2系統の文章体の共通化ということでしょう。結果として同じことを考察したのだろうと思います。司馬の場合、文学者の感性でもって、日本語のプラットフォームの統一について考察しました。
当然のことながら、いつプロットフォームが完成しました、とは言えません。[完成というと語弊がありますが、共通・共有のものになる](p.179)ということです。それを[成熟した]という言い方で示しました。一つの指標になる見方だろうと思います。