■日本語の体系を考える:『日本列島の言語』の小松英雄論考から
1 機能的な記述を可能にした記述法
『日本列島の言語』にまとめられた記述は1989年のものですが、いまでもいくつかの論考を振り返りながら、考えることがあります。たとえば小松英雄による「日本語の歴史 書記」では、その一筆書きが見事でした。小松は、漢字・漢文の導入から論じ始めます。
[日本には固有の文字が発達していなかったので、漢文体による書記が学習され、記録などの用に供されるようになった]とのこと。このこと自体、あたりまえの事実を指摘しているにすぎません。これが日本では、どう展開していったのでしょうか。
[平安時代初期になると]、カタカナとかなが成立します。漢字、カタカナ、かなの使い分けが可能になりました。その結果、[それぞれを漢字と適切に交用することによって][読み取りやすく書きやすい書記様式が成立し]たのです。ご存知の通りでしょう。
漢字、カタカナ、かなが使われ、[読み取りやすく書きやすい書記様式]が出来た結果、何が変わったといえるでしょうか。日本語のその後の展開について小松は、[その発達過程は、機能的洗練の歴史として跡づけることが可能である]と言います。
2 前提条件の不備解消だったカタカナ・ひらがな
書記の手段に変化が起きました。漢字だけでは不便だからです。漢字だけのところに、カタカナとかなが加わった結果、読みやすく書きやすくなりました。漢字だけの文章より、またカタカナや、かなだけの文章よりも、漢字かな混じりの文章は読みやすいのです。
しかし、読みやすくなった、書きやすくなったということで、終わる話ではありません。記述するときに、道具立てが足らないというのは、前提条件の不備のようなものです。そこが解消されなくては、その先に行けません。なぜ不備を感じたのかが問われます。
日本語と漢文の体系が違うからです。違う体系の言葉を表記するために借用したのですから、無理があります。日本語の体系に合わせるために、カタカナとひらがなの「発明」がなされたということになります。しかしそれだけで、問題解決にはなりませんでした。
3 センテンスを機能的にする助詞の役割
漢字には、一文字で簡潔に表現できる圧倒的に有利な機能があります。こうした有利さの反面、文字と文字の関係を示すための記号を持ちません。漢文には、そのために語順ルールがあるようですが、しかし、それも十分な法則性があるわけではなさそうです。
日本語の場合、語順が緩やかな言語というべきでしょう。文末に結語(述語・述部)が来るという大原則はありますが、その前に並ぶ言葉の順番に関して、かなり自由な並べ方を許容しています。語順に自由さのある日本語に、漢文の規則を当てはめるのは無理です。
日本語の場合、文末に結語が置かれるという大原則とともに、センテンスの骨組みになる語句や、それを修飾する語句に、役割を示す記号をつけました。それが助詞です。それらの役割を整備していくことによって、文章を機能的にしたということになります。