■マニュアルを作るときの基本:設計と骨組みを作ること

1 マニュアル作りが苦手な日本人

今週、来週とマニュアルの作成講座でお話をしてきます。別々の講座ですからテキストも、違うものを作ってすでに提出しました。今回、少し内容を変えています。どうしても気になることがありました。マニュアルを作るときの、全体と部分のことです。

日本人はマニュアルを作るのが苦手だと言われています。実際、いくつかのマニュアルを見せていただくと、その通りだという気もしてくるのです。海外と比べてというよりも、なんだか絶対的に苦手な感じがしてきます。どうしてなのでしょうか。

どうやらマニュアルに限らず、日本人の作るものに共通した何かがあるのではないかと考えたくなります。もっと言えば、日本語自体がまだ慣れないビジネスの形式に適合しきれずに、苦労しているという感じがするのです。あえて言えば、骨組みのなさでしょう。

 

2 標準化以前の問題

中井久夫という人がいます。文学者としても名が知られていますが、精神病理学の専門医です。自分の領域についてのすばらしいマニュアルを作って、成果をあげてきました。この人が『清陰星雨』で、日本のマニュアルのひどさは折り紙つきだと指摘しています。

中井の場合、操作マニュアルの領域での発言でした。使う人の立場での記述になっていない点を指摘しています。それが日本人の文章構成の基本的発想に絡んでいるらしいことを示唆していました。やはり骨組みを作るのが苦手だということになるのです。

こうなると、マニュアルに限らない話になります。これが業務マニュアルについてなら、日本人は標準化が苦手であると言うこともできるでしょう。しかし操作マニュアルの場合、標準化以前の問題です。標準化よりも前に問題があるというしかありません。

 

3 自分の設計し構想した骨組み

「小径(こみち)の三味線」(『私の時間』所収)という文章で吉田秀和は、ベートーヴェンの音楽と日本の三味線を比べて、全体の骨組みについて書いています。マニュアルについて、あるいはもっと基礎的な日本人のありがちな傾向について言えるポイントです。

[フルトヴェングラーはかつて、ベートーヴェンの作品では「どんな局部を聞いても、それが全体の中のどんな部分にあたり、どんな役割を演じているかわかる」といった]が、一方、三味線の音楽は[正反対の芸術観から生まれたかのように、思われる]のです。

▼小説を読んでも、また長大な評論を読んでも、全体の骨組みについて――ベートーヴェン的徹底さは求めないにせよ――十分な構想の下ごしらえがないままに、ある一つの考察、イデーを手がかりに開始され、そのあとは、「時間の流れ」に従って、曲がり、しかし、何か彼にか感興の糸によってつなげられながら、書き進められ、時にはある地点で、思いもかけぬ拡がりや深まりを見せたり、不規則な繰り返しを行ったりしながら、進んでゆく。 p.151 『私の時間』

吉田の指摘が一番心に響きます。[自分の設計し構想した骨組みに従って作品を作るということが不得手であり、好きでなく、時の流れに身を任せ、それに沿って創作の歩みを進める]。マニュアルを作成するときにも、同じことが言えるように思います。

 

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