■文書の設計と骨組みを作るために:吉田秀和の指摘

1 十分な構想なしのスタートはNG

吉田秀和は『私の時間』所収の「小径(こみち)の三味線」に書いています。日本の音楽を聞いた吉田は、ベートーヴェンの音楽と比較して、私たちは[自分の設計し構想した骨組みに従って作品を作るということが不得手]だと。たしかにその通りでしょう。

ベートーヴェンの音楽と日本の三味線のどちらが好ましいか、吉田はあえて書いていません。言うまでもないことです。現代の私たち日本人は自分たちの音楽よりも、ヨーロッパの最高峰の音楽を愛好します。それは人類の遺産でもあると感じているはずです。

音楽だけでなくて、[小説を読んでも、また長大な評論を読んでも]、そしてマニュアルまでもが、[全体の骨組みについて][十分な構想の下ごしらえがないままに][開始され][書き進められ][進んでゆく]。これはよくないことだということになります。

 

2 苦労して骨組みを作り構想を考える

ある程度の慣れがあれば、吉田の言うように、[時の流れに身を任せ、それに沿って、創作の歩みを進める]ことで何とか文書の形に出来てしまうのかもしれません。しかしそれに抵抗しなくてはいけないということになります。何だか大変ですが仕方ありません。

同じ本に、ブラームスのこと、そしてモーツァルトについて書いた文章があります。ブラームスは歌曲、室内楽、管弦楽用の音楽と、優れた成果を残したが、どれもがシューベルト、モーツァルト、ハイドン、ベートーヴェンに比べると最高のものではなくなると。

▼彼は、どうしても凌駕できない神々や天才たちのと別の土俵に行って仕事をする気になれなかったのである。厄介のことにブラームスは、昔の音楽の真価がわかり、わかるだけでなく、好きでたまらなかったのである。 p.76 『私の時間』

幸いビジネス文書ならブラームスのレベルに達すれば、それは圧倒的だということになります。私たちは、もう一度苦労するしかありません。骨組みを作って、全体の構想を考えていくことから始めるべきです。それをしないでは、一流のものはできないでしょう。

 

3 標準スタイルを作って全体に配置

日本語が英語などの欧州語の美点を取り入れようと苦労する過程で、日本語が近代化していき、学術でもビジネスでも通用する日本語が形成されてきました。それはまだ不十分なところがあって、まとまった文書を作ろうとすれば、相変わらず苦労するのです。

骨組みを作ろうとすること、全体の構想を考えること、そのためにはどうしたらよいのかと考えていくしかありません。こうした発想をもって仕事をしている人は間違いなくいます。文書を作る際にも、意識してそうした発想を持つ必要があるということです。

マニュアル文書の場合、通読するものではなくて、必要項目を確認するものですから、標準的なスタイルを作ったほうが見やすいものになります。各項目をどう全体に配置したらよいのか、そういう発想が必要です。慣れてくれば、この方が楽かもしれません。

 

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