■論理的に考えるために:ミルトン・フリードマンの考えを参考に
1 論理的に考えるために大切な二つのこと
学生がロジカルシンキングに関心があると言うので、具体的にどういうことを想定しているのか聞いてみました。こういうときロジカルシンキング講座の内容にあるようなものを想像しがちです。もちろん違います。論理的に考えること…というだけです。
自分は論理的に考えたいのだけれど、自分の考えが論理的かどうかわからないので、ロジカルシンキングに関心があるというのです。いまやこれが普通の答えになってきました。素直な感性だと思います。演繹だ帰納だといった講座は、もういいでしょう。
物事を詰めて考えるときに、論理的に考えることが便利で安定しているからこそ、論理的に考えることが大切だといえます。あとで見返したときにも、考えが論理的であることがどんなに効率がよいか、実感している人もたくさんいるはずです。
論理的に考えるときに大切なことは、二つのことだと思います。一つは言葉を大切にすること、もう一つは論理の流れがわかりやすい形式にまとめておくことです。記述しておけば、後からでも検証が可能です。記述が学問の基礎というのは、当然のことです。
2 フリードマンの基本方針
とびきりの切れ者の経済学者といわれるフリードマンの場合、[極端なほど言葉にこだわる]とエーベンシュタインは『最強の経済学者 ミルトン・フリードマン』に記しています。これは若いときにウェスリー・ミッチェルから学んだからだということです。
たとえばフリードマンがサヴェッジに語った例が紹介されています。[『大半』とは半分以上を意味する言葉で、本当に半分以上かどうかは、統計上のデータをとってみなければわからず、データがない場合は大半という言葉を使いべきではない]と言ったそうです。
こうやって鍛えられたため、[結果的には、サヴェッジは文章修業に励み、原稿の隅に走り書きするメモでも、手紙でも、学術論文でも、数式と同じくらい言葉の選択に気を使うようになった]。論理的に考える訓練の基礎というのは、こういうものなのでしょう。
「あいまいな点を残さず、明確に言葉にできなければ、理解したとはいえない」、フリードマンがウェスリー・ミッチェルから学んだことのエッセンスでした。先の学生が希望する「ロジカルシンキング」講座を作るなら、基本方針はここにおかれるべきでしょう。
3 簡潔な記述にする練習
以上から言えることは、記述が大切だということです。フリードマンは学生に言ったそうです。[ずさんな文章は、十中八九ずさんな考え方を反映(露呈)している。正確な説明を心がけることで、自分の分析の不十分な点が見えてくると自信を持って断言できる]。
書くことによって自分の考えが検証できるようになります。考えることは書くことです。書くからこそ、考えがまとまってきます。その意味で[論文は、研究がすべて終わってから書くものだという世間一般の認識ほど誤ったものはない]ということになります。
物を書くという作業を通じて、自分が何をしているか、何をすべきかがみえてくる。徹底的に考え抜くことを自分に強いるには、文章にしてみるのが一番だ
こうやって書いていけば、簡潔にまとめることが出来るようになります。簡潔でなかったらまだ詰めが甘いということになります。[学生の論文の質を高めるためにどうすればよいのか]…に対するフリードマンの主張は[論文を短く]するということです。
[学生には簡潔な論文を書くことを勧めた。試験では、論文の最初の1000ワード、ときには500ワードだけを採点した]とのこと。論理の流れをわかりやすくするためには、簡潔な記述にすることが必要不可欠なのです。そうすれば内容の検証もしやすくなります。
論理的に考えるためには、論理的に考えているかどうかを検証して、それを修正していくしかなさそうです。そのためには言葉を大切にして、簡潔に記述していく練習が不可欠になります。要約が大切な練習の一つになるのも、こうした点から言えることです。