■日本語の改良と文法

1. 有望資格であった英文法

日本語の文法に関する講義はなかなか成り立ちません。どうも、文法というと使えないというイメージがあるようです。日本語に関してなら、必ずしも間違っていなかったともいえそうです。

文法は本来、文章の読み書きの指針となるものでした。ところが日本語には、こうした目的にかなう文法がなかったのです。ミリオンセラーの『日本語練習帳』で大野晋は、「今の学校文法は、文章の意味の構造を理解するには役に立たないのです」と書いています。

英文法の場合、事情が違います。伝統的な英文法を勉強すれば、きちんとした文章が書けるようになります。19世紀の工業化のすすむ時代に、きちんとした文章が書けたなら、階級が下の人であっても管理職に就くことができました。ですから、文法は社会での有望な資格とみなされました。

中世のヨーロッパでは、ラテン語で学問をするために共通の知識として3つの分野が「教養」とみなされました。それが論理学、修辞学、文法学でした。ヨーロッパには文法学の長い歴史があります。読み書きの指針となる文法を作る基礎があったのです。

日本でも江戸時代の活用語の研究など、現在でも通用するものはありますが、ほとんどが明治以降の研究によります。文法の伝統自体が短いといえます。どうしてこんなことになってしまったのか。理由があります。

2. 簡潔・的確な日本語への改良

日本の場合、文法学は日本語の変化のあとを追いかけてきました。明治時代初期の日本語は、現在の日本人に多くの違和感を与える日本語で書かれています。文章自体が変化していきましたから、文法もそれを後追いすることになったようです。

明治18年(1885年)、ドイツ参謀本部のメッケル少佐が日本に招聘されたときに言った言葉は象徴的です。「軍隊のやりとりの文章は簡潔で的確でなければならない。日本語はそういう文章なのか」というものです。

私たちは、日本語を簡潔・的確な言葉にする必要がありました。そのため系統の違うヨーロッパ言語を日本語に取り入れようとしたのです。

昭和9年(1934年)に出版された『文章読本』の中で谷崎潤一郎は、「われわれは、古典の研究と併せて欧米の言語文章を研究し、その長所を取り入れられるだけは取り入れた方がよい」と言いながら、「今日の場合は、彼の長所を取り入れることよりも、取り入れ過ぎたために生じた混乱を整理する方が、急務ではないか」と指摘しています。

大急ぎで日本語を改良しようとして、消化不良を起こしている状況を、谷崎は見て取ったのでしょう。言葉の系統が違うヨーロッパの言語を取り入れることは、本来難しいことです。ところが多くの日本人はそれを行い、取り入れ過ぎだと言われるくらいになりました。何でそんな無謀とも思えることを事もなく行えたのか。これは明らかなことです。

3. 漢文の受容経験が生きた日本語改良

日本では長い間、漢文との格闘がありましたから、その経験が生きました。

英語と同じ独立語の系統である中国語は、語順によって語の意味が変わってくる言語です。ところが日本語の場合、語順が意味を決定するのではありません。膠着語の系統である日本語は、語句を助詞で糊付けしていく言語です。したがって、糊付けの方法が大切です。糊付けの仕方で意味が決まってきます。

こうした乖離を埋めるため、日本人は、漢文の語順を変更して読む方法を発明しました。「返り点」と呼ばれる記号をつけて、どういう順番で漢字を読んでいけばよいのかを示すとともに、漢字に送り仮名を振ったのです。元の漢文のまま、記号の順に漢字と送り仮名を読んでいくと、漢文が理解できます。

漢文という形式で中国語を取り入れた経験を生かして、今度は系統の違うヨーロッパの言語を取り入れたのです。その結果、日本語は目鼻立ちがよくなりました。主語・述語・目的語などに該当する概念が明確になったのです。

英語は論理的な言葉であり、日本語は論理的でないという言い方が、第二次大戦後になってもなされました。英語には主語、動詞があり、英文法という読み書きのルールがあるのに、日本語の場合、日本語の読み書きを文法で教えることは出来ていません。ルールが明示されなかったために、日本語は論理的でないと言われたのです。

私は言葉の不自由な方々とのおつき合いから、日本語の目鼻立ちを意識することの大切さを痛感していました。「誰が、何を、どうした」という基本的な文章の形式に立ち返って訓練することが必須のことだと思いました。障碍者に限りません。われわれの理解の原点への回帰でもあると思います。

現在、ビジネス文を中心とした日本語は、明確性、簡潔性が重視されます。伝達手段として、日本語は洗練されたものになりました。日本語にも、読み書きの指針となる文法が作られるべきだと思います。その環境はすでに整っていると思います。

そんなことから、日本語の文法を作り直す作業をしています。それが「日本語のバイエル」です。

*4月22日に、BPIA 目からウロコの「新ビジネスモデル」研究会でお話します。

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