■日本語文法講義の6回目:連載更新

現代の文章 日本語文法講義 第6回

    

1 蘭学から英文法へ

いささか予定が立て込んでしまって、連載が予定よりも遅れてしまいました。何とか載せたところです。今回、また寄り道のように蘭学の話にさかのぼって行きました。蘭学のことを確認してから、英文法の話をしたいと思ったのです。そう複雑な話ではありません。

「蘭学から英文法へ」という内容です。「解体新書」という医学者の翻訳の話はご存知でしょう。あの翻訳がなされたのが、1774年だそうです。それ以降、ずいぶんオランダ語の翻訳がなされるようになります。これは日本人の積極的な行為でした。

それまでに日本にやってきたスペイン、ポルトガルの宣教師たちは布教のためという目的から、日本語を覚えようとしました。しかしオランダ人の場合、布教目的ではありませんから、特別日本語を覚える気がないのです。日本人がオランダ語を覚えたのでした。

翻訳が拡大していくと、長崎でオランダ語を話すこととは別に、江戸では読むオランダ語が独立して扱われるようになってきます。そして翻訳技術が発達していくのです。ところが、そのとき使った方法は漢文訓読の応用でした。従来からの方法をとったのです。

     

2 ヨーロッパ文化という新しい刺激

蘭学の方法は、近代化のために採用した方法と違ったものでした。これは別に、オランダ語をはじめとした語学に限りません。江戸時代に中国趣味がブームになりました。さらに生活が安定してくると、もっと高度な生活程度を目指すことになったということです。

こうして生活に南蛮趣味が入ってくることになります。ヨーロッパ文化を受容する素地はすでに徳川時代において形成されていたということになるでしょう。ただし[さらに新段階に飛躍するためには、何か新しい刺激が必要]でした(宮崎市定『アジア史概説』)。

蘭学の方法が漢文訓読の方法だったのは象徴的なことでしょう。別のものが必要でした。[新しい刺激とは、ヨーロッパ文化に他ならない]と宮崎市定は書きました。「ヨーロッパ文化」とは、訓読とは違った方法を言います。それが英文法という方法でした。

      

3 学校文法の基礎となったマリーの英文法

1795年にリンドレー・マリーの英文法が刊行されます。この英文法は画期的だったようです。渡部昇一は『秘術としての文法』(講談社学術文庫)で、[ただ一つの文典が英語国を支配すると言ってもあまり誇張でないような状況が現出する]と記しました。

日本で最初の英文法の本が、マリーの英文法のオランダ語訳からの重訳だったそうです。これはおなじく渡部昇一の『英文法を知っていますか』に書かれています。[開国前後の日本の英語の勉強はマリーから始まったと言えるであろう]ということです。

漢文を直訳する方法が訓読法であるならば、英語を直訳する方法は、学校文法とか伝統文法とよばれる文法のルールにそって読むものでした。この方法を使った結果、日本語にどういう効果をもたらしたのか、それがこれ以降に語られなくてはならないことです。

    

カテゴリー: 日本語 パーマリンク