■助詞の感覚
1 感覚的にわかるかどうか
留学生の中には、日本語で話す限り、まったく日本人と変わらない発音をする学生がめずらしくありません。知らないうちに、こちらの話が全部伝わっているような錯覚を起こすことがありました。実際には、そう簡単に正確な意味が伝わるわけではありません。
助詞が正確に使えていないのです。とくに中国人の留学生の場合、助詞なしで、言葉の並びで理解しています。以前、「東京駅[ ]友達[ ]会った」と書いて、助詞を入れるように言うと、無理だという学生がかなりいました。感覚的にわからないようです。
先日、「空[ ]飛ぶ」の助詞を問うてみました。3人にブランクを埋めてもらったところ、「空に飛ぶ」「空へ飛ぶ」「空で飛ぶ」という答えです。「空」と「飛ぶ」の単語が並んでいますから、空を飛ぶという概念は分かっています。助詞の感覚がないのです。
2 日本人でも説明困難
日本人の場合、助詞は感覚で使えるようになっています。「東京駅[ ]友達[ ]会った」というドリルをすると、答えが一つに決まらないこともわかるでしょう。「東京駅で」の方は、ひとまずこれでよいとなりますが、「友達に」「友達と」が思い浮かびます。
この二つの答えに対して、どう意味が違うのかと聞けば、留学生の場合、違いを知っている人もいますが、感覚的にわかるものではないようです。日本人の場合、意味の違いが言えない人もいますが、感覚的にわかってしまう人が多数派でしょう。
それぞれの助詞に一定の機能があります。それが感覚的にわかるようになるまで、何度も使いながら身につけてきたものでしょう。日本人に、この感覚的なものを説明してもらおうとしても、なかなか説明できずにいます。留学生がわからないのも仕方ありません。
3 日本語文法ができていない理由
感覚的にわかるということは、ある種の信号をパッと認識するようなものです。複雑なものというよりも、微妙なものを感じ取る能力が身についているかどうかが問題になります。
こうした感覚を言葉にして、説明できない限り、留学生には伝わりにくいでしょう。
何度か助詞のドリルをしてみると、言葉のニュアンスが正確には伝わっていないのだということに気がつきます。同時に、私たちが、たとえば簡単な英語が読めたとしても、そこで表現されているニュアンスまでは、わかっていないだろうと思います。
漢字の場合、日本語化して日本語の語感が定着していますから、日本語で使う漢字の意味は問題になりませんが、漢文の漢字の場合、ニュアンスまではわかりません。正確に読める人は、それらを感覚的に認識できるのでしょう。それがあるかないかが問題です。
言葉の伝達には、感覚に頼るところがあるのは当然のことでしょう。日本語の場合、主に一音からなる助詞が大きな役割を果たしています。もっとシンプルで、ぴたっと来る説明ができないと、日本語の文法が確立しないでしょう。まだそれができていないようです。
