■鹿島茂『思考の技術論』:シンプル化が必要

     

1 デカルトの4原則

鹿島茂は『思考の技術論』で、デカルトの『方法序説』を使って、自分の頭で「正しく考える」仕組みを論じています。厚い本ですから、途中で飽きて来ましたが、いい加減ながらも読みました。この本で論じられることは、鹿島流技術論というべきものです。

鹿島はデカルトの4原則を、「すべてを疑おう」「分けて考えよう」「単純から複雑へ」「見落としの可能性を列挙しよう」と簡略化しました。[難しいのは第一原則]だと言いつつ、実際に重視するのは[第二原則以下の原則のほう]だと記します(p.21)。

第二原則の「分けて考える」とは、「問題をより良く解くために必要なだけの小部分に分割すること」、第三原則は「もっとも単純でもっとも認識しやすいものから始め」ることですから、認識可能な形式、つまり一番単純な要素にすることが求められるのです。

      

2 「直観的に正しい」ことが基礎

鹿島は『方法序説』より9年前の1628年に書かれた『精神指導の規則』を解説しています。デカルトの4原則のうちの、[第二原則をパラフレーズしたと思しき言葉が「規則第九」に見つかります](p.30)と指摘して、以下のように記しました。

▼「正しく考えるための方法」の基礎の基礎となる「もっとも単純にして最も容易に認識しうるもの」というものは、「直観」によって一瞬のうちにそうだとわかるのだというのです。/「そんなバカな!」と叫びたくなるような結論ですが、じつは、これこそがデカルト的懐疑論の中核にあたる思想なのです。 (p.33)。

このデカルトの考えが提示されると、[「直観的に正しい」というのは、じつは「経験的に正しい」にすぎないとする反論が直ちに現れました](p.61)。ヒュームを中心とするイギリス経験論です。鹿島は、哲学者の方法を確認にしながら、技術にまとめていきます。

      

3 前提に違和感あり

デカルトの4つの原則は、モダンの方法とみなされてきました。その前提となる考えは、われわれの感覚と異なっています。理性が平等に分配されているということ、さらに直観的に正しいとわかるかどうかを基礎にすることなど、受け入れがたいことでしょう。

直観的に正しいというのは、本来、主観的なものです。ただし理性が平等に配分されているという前提に立つなら、全員が同じように直観的に正しいと感じることになるかもしれません。こうした前提に立つことは、おそらく多くの人に違和感を与えるはずです。

「直観的に正しいとわかるもの」=「認識可能な形式になっているもの」ということを前提にすると、客観性の基準がわからなくなります。まさに、経験的に正しいことに過ぎなくなるのです。問題は、言葉で表現する際の、明確性の有無ではないでしょうか。

鹿島はこの本で、次々面白い事例を集めて、「鹿島流技術論」を展開していきます。500頁を超える分量ですが、それはそれで面白いのです。参考になるところもあります。しかしまだ技術論として、まとまりがついていない様子です。シンプル化が必要でしょう。