■イタリアルネサンス普及の急旋回を生んだもの:知識そして科学と宗教

       

1 16世紀初めイタリア美術が圧倒

ある時突然、大きな流れが変わることがあります。歴史を見ると、そういうことが起こってきました。現在も、そういう時代かもしれません。時代の変化が起こるときに、どんなことが底流にあるのか、現象を起こした要因が何であるのかが気になります。

L・フェーヴルは『フランス・ルネサンスの文明』で、15世紀は北方のフランドル美術が勝利者であり、東西随一の画家とされたのは、ヤン・ファン・エイクだったと語る一方、16世紀始めからの急旋回で、イタリア美術が圧倒することになったと指摘しています。

▼勝ち誇り発展するフランドル美術のために、十五世紀を通じて半島にいわば封じ込められていたイタリア美術が、どうやって、またなぜ、突然外に飛び出し、拡がり、とくにドイツとネーデルラントであっという間に優位を占めてしまったのか? なぜこのように尋常ならざる、全面的な革命が起こったのか? (pp..92-93 創文社版)

     

2 世の中が知識を身につけた16世紀

フェーヴルによれば、[十五世紀末から十六世紀初頭にかけて、世の中が知識を身につけた]からでした。[古代ギリシア・ローマに弟子入りして、思ってもみなかった数々の素晴らしいことを学]び、才能があれば世の偉人に列せられる時代になったのです(p.93)。

[そもそも芸術とは何か、美とは何かを学んだのだ。まずプラトンから、そしてローマの枢機卿たちの葡萄園(有力者の別邸)で、徐々に再発見され日の目を見つつあった古代の彫像に対面して学んだ](p.94)のでした。しかし、これだけではなかったのです。

[十五世紀末のイタリアにおいては、美術は一つの科学になろうとしていた、より正確に言えば、あるべき場所に人や物を置くための厳密な方法と、生命あるものに関する正確な科学とに準拠しようとしていた]、[この動きはイタリアに特有のもの](p.95)でした。

     

3 科学と宗教:永遠の真実を求める

ルネサンスの時代になって、ダ・ヴィンチを典型として、美術も科学的な存在になり、画家の地位も上がりました。デューラーはドイツに帰る際、「ヴェネツィアでは私は貴族だが、ニュールンベルクに戻れば哀れな馬の骨にすぎない」と書いていたとのこと(p.93)。

能力が正当に評価されるならば、強みを持つ人が押し上げられていきます。そのためには、知識やスキルの高さを評価できる土壌が必要です。評価のためには、客観的な評価の測定方法と測定の尺度が必要になります。これら方法と尺度を提供するのが科学でした。

同時に、十五世紀のイタリア画家たちの芸術は、[絵画を模倣の芸術とみなす]ブルジョワ的な発想とは別物です。[自分の忠実な肖像画が欲しい時にはフランドル人画家に注文するのが普通](p.90)でした。写真のように、見えたままを表現するのではダメです。

ルネサンスの芸術は、プラトンやローマ時代の彫像などから学び、解剖学などの科学的な視点が加わったものでした。フェーヴルはさらに、宗教改革とその反動により形成された宗教観を、もう一方の潮流とします。永遠の真実を求める点に収斂しているようです。