■ルネッサンスと西洋史正統論:「東洋のルネッサンスと西洋のルネッサンス」
1 「ルネッサンス」という西洋史正統論の用語
古代ギリシャ・ローマと現代のヨーロッパには、ある種の断絶があって、本来は古代から現代への歴史の継承がなされたわけではありません。堀米庸三は「ギリシア・ローマの古典古代史はなぜヨーロッパ史の第一章をなすか」と問うています(『西洋と日本』p.46)。
宮﨑市定は[そもそもルネサンスという言葉からして、これは西洋史正統論の産物らしい]、[ルネサンスはまた西洋史にだけの独特のものでなければならぬ。ルネサンスという言葉は西洋以外に拡大して使ってはならぬ]という見解でした(全集23 p.671)。
つまり[古典文化はギリシャに発祥してローマに伝わり、中世に一時姿を消したが、それは全然滅亡したのではなく、種子となって冬眠し、やがて十三世紀に再び芽を吹いたという意味]で、[純粋の遺伝子の再生]だという主張になります(全集23 p.671)。
2 西アジアに起こったルネサンス現象
世界は、[東と西は互いに影響しあって発達して来、決して別々に存在した]ということではないのです。[民族なり国家なりの間では、縦に言えば継承であるが、横に言えば伝播なのであり、その効果の点では同一である]と考えられます(全集23 p.670)。
実際、[ルネサンス現象は、まず西アジアに起こり、それが中国に伝わって中国宋代のルネサンスとなり、最後に西洋において、先行地方の蓄積に学んで西洋ルネサンスとなったに違いない]のです。だから宮崎は「東洋のルネサンス」を認めます(全集23 p.670)。
この証明は難しいように見えましたが、[絵画の上で中国から西洋への伝播の跡をたどるのは可能ではないかと考え]、[欧州各地の文物を見て回って、いよいよ自信を深め]たのでした(全集23 p.670)。日本の西洋美術史も、書き換えの必要なものがありそうです。
3 西洋史正統論が消えた時期
では、こうした西洋史正統論のような考えは、いつ頃に消えていったのでしょうか。宮崎は、1940年に「東洋のルネッサンスと西洋のルネッサンス」という論文を公表した際に、西洋史ルネッサンス専攻の人から、[激しくかみつかれ]たそうです(全集23 p.670)。
モネの「日本娘」という題名の大作は、[いわゆる印象派の芸術がいかに多くを日本の浮世絵に負うているかを物語っている]のですが、宮崎が[最初のパリ滞在、昭和十一、二年の頃にはこの絵はまだどこにも陳列されて]いなかったとのこと(全集23 p.603)。
戦後しばらくしてから[現今のようにパリの印象派美術館の入口に堂々と飾られるようになった]のでした(全集23 p.603)。本来の絵画の歴史的な流れとは別に、近代以降の欧州の発展が、権威主義的なものの見方を形成してきたということになりそうです。
これは馬鹿げた話でした。同時に、印象派の画家たちが浮世絵を発見し、それを自分たちのものにした点が重要でしょう。よいものから学ぶことが大切だということです。印象派の画家たちは、日本人以上に浮世絵の価値が理解できたのでした。偉大なことです。
