■主語と述語:日本語の文法の用語について

1 「主語・述語」がわからない

文章を書くときに、困ることは何かと聞けば、たいてい何を書いていいのかわからないと言います。書くことが決まったとしても、どう書いたらいいのかわからないという訴えが続くのが通例です。この二つが文章の書けない理由の両輪といったところでしょう。

たいていこの2つの話をすれば済むのです。しかし学生に話を聞いてみると、少数がちょっと違うことを言います。「主語・述語というのがわからない」ということを文章に関連してあげる学生が、1クラスに1人か2人、必ずといっていいほどいるのです。

ビジネス人に同じように、主語・述語というのがわかりますかと確認してみると、わからないという表情になります。わかりますか、わかる方は手をあげてくださいと言うと、手をあげる人はいません。そしてこのとき、私も分からないですと言うことになります。

 

2 概念とそれを表す用語

同じ用語であっても、さまざまな人が、さまざまな用法で使う場合、その用語がかえって誤解を生むことになりかねません。それを避けるためには、定義をすることが有効です。しかし定義が定まらない場合、その用語の意味はわからないと言うしかなくなります。

こうした定義なしのままに、多くの人が使っているのが「主語」「述語」という用語です。さらに言えば、概念がある程度わかったとしても、その概念をあらわす用語として名称が不適切だろうという指摘が出てきます。こうなるとお手上げ状態でしょう。

述語と言うけれども、「語」ではないという主張があります。町田健『まちがいだらけの日本語文法』では、[述語もいくつかの単語の集まりだということなわけですから、やっぱり「述語」とはせずに][「述語句」と呼ぶのが適切です]ということになるのです。

この一方で、町田健は[国文法で教えられる主語の説明は、ちょっと意外なのですが、本質的には問題がなさそうです]と指摘しています。同時に説明不足があって、[これだけで主語とは一体どんな性格をもっている単語なのか]、わからないというのです。

 

3 国文法で教えられる主語の説明

ひとまず主語がわからないという人に、町田が問題ないという主語の概念を示しておくのは無駄でないでしょう。ただ、こうした説明を聞いたことがある人はいないかもしれません。これは町田の理解するところの「国文法で教えられる主語の説明」です。

[「は」とか「も」がついている名詞でも、「が」に置き換えることができるのだったら、その名詞が文の中で表す働きというのは、「が」がついている場合と同じなのだということ]がポイントです。「が」の接続できる言葉が「主体」なのだと町田はいいます。

つまり、[「が」をつけることができる名詞であれば、実際には「は」とか「も」がついていたとしても、主体の働きをするモノを表すのだということになります]。そして[「主体」であるモノを表す単語(普通は名詞)が、「主語」と呼ばれるわけです]。

いささかわかりにくい説明かもしれませんが、町田が言いたいのは、主体を示す言葉が主語であるということになるでしょう。ただ「主語」が、[じつは単語ではなくて文節]の場合もあるから、用語が不適切だと指摘します。ここまでは正しいと思うのです。