■バルール(ヴァルール)について:色価という概念 『絵画の見かた』を参考に
1 重要なキーワードであるバルール
画家たちはバルール(ヴァルール)という言葉を使います。絵を指導するときにも、絵について語るときにも、大切なところで「バルールが…」という言い方をします。一般的な用語ではありませんが、重要なキーワードとして今後も消えない概念だと思います。
本来はフランス語の単語で、アルファベット表記は「Valeur」です。日本語にすると色の価値という「色価」という用語が当てられています。「Valeur」は英語の「Value」にあたるそうですから、色の価値を示す概念であることには違いなさそうです。
画家の中には、バルールを理解することが絵の理解の鍵になると考えている人が少なからずいるように思います。画家に聞いても、明確な定義が示されるわけではありませんが、しかし用語の示す内容が理解できたなら、新しい視点が得られると感じていました。
散見されるバルールの概念は、私が大切な場面で聞いたときの概念と合致していません。バルールを「白と黒の間に生じる光または闇の度合いをいう」(ロバート・バレット『人物デッサンのすべて』)と定義されると、別概念だという気になります。
やっとバルールの意味がわかった気になったのは、矢崎美盛・中村研一著『絵画の見かた』を読んでからのことでした。おそらくポイントとなるのは[色の面で立体を出すということ]です。線を使って形で立体を表現するのではなくて、色を使います。
2 「色彩だけで画面ができている」絵
『絵画の見かた』は美術史専攻の学者・矢崎美盛と画家・中村研一の二人の対談です。編集部の人が、[たとえばマティスの絵などは、影がなかったり、線がない。色彩だけで画面ができているという場合も、デッサンがあるわけですね]と話を振っています。
中村は答えます。[絵を描いてゆくには、狭義のデッサンとともに色や光という要素を見逃せない。つまり皆が一つになって広義のデッサンということになる]。矢崎が確認します。[デッサンが単に線のみの問題でなくて、色、光という問題をも含む]。
立体的に出来上がっている世界をどうやって平らな画面に表現するかという大きな問題があります。立体的にできている世界を絵にするとき、「線・色・光」を使って描きます。マティスの一見「色彩だけで画面ができている」絵でも立体が描かれています。
絵が[陰と光を色に還元して、つまり確実に色のヴァルールを見つけてゆくという方法]をとっているためです。だから[色のヴァルールというものは大切で、デッサンと非常にくっつきあっている。デッサンの延長みたいなもの]と中村が語ります。
3 日本の浮世絵の影響
色の評価を変えていくときに、日本の浮世絵の影響があったかもしれません。西洋絵画の場合、立体を描くために正確な線と形のデッサンを基礎に、色の塗りかたについても様々な工夫を重ねてきました。ところが日本の浮世絵は違った形式の絵でした。
▼日本人はただの紙のまっ白い顔に目鼻をつけただけで、立体の女の顔を簡単にやっている。着物の描き方にしても、西洋画ではムーヴマンといって複雑なものがあった。ところが意外に身体の形に従って描いて、赤いものは赤のべた塗りにし、畳は黄色のべた塗りにして、それで西洋人のねらったものを簡単に出す。これは非常な驚きであったろうと思う、頭のよい連中だからそれの解剖は一生懸命にしたと思う。(中村: p.98)
そうすると、ボッティチェルリの人物画の[改めてその陰のない顔の美しさを見なおしたくなり](中村)、[色の面で立体を出すということが、安んじてできるようになってきた](矢崎)ということです。色のもつ力を利用して絵を構成することになります。
バルールが合っていれば、平らに色を塗るだけでも[立体の感覚を出しながらしかも画面を整えて力が平均して行きわたった絵が成し遂げられ得る](中村)のです。音楽のように色全体がピタッと決まった状態の絵がバルールの合った絵ということになります。
日本では色の調子という言い方をすることがあります。バルールという概念が[はっきり問題にされなかった](矢崎)ために、「調子」という言葉が濫用されてきました。バルールという概念は、絵に限らず、もっと広い分野に応用できる言葉だと思います。