■助詞「に」と「へ」の違い

 

1 帰着点の「に」と方向の「へ」

『炎の作文塾』のコメントで川村二郎が助詞について書いています。大野晋の評伝を書いているくらいですから親しかったようです。[大野晋さんに教わったこと]と記しています。助詞の「に」と「へ」がどう違うのか、川村の説明を見てみましょう。

▼助詞の「に」と「へ」だが、「学校に行く」と「学校へ行く」はどう違うか。「に」は言ってみればピンポイント、前者は間違いなく学校に行くことになる。一方、「へ」は方向を表すから、後者は学校のある方に行くことを指す。

別の個所で川村は、「に」は[行動の帰着点を表す]、「へ」は[方向を示す]と記しています。「帰着点」とは「最終的にたどり着くところ」という意味ですから、終点(終着点)とも言えるでしょう。では始まりの「起点(始点)」はどうなっているでしょうか。

「に」は帰着点・終点(終着点)を示していて、起点(始点)についての前提条件はありません。したがって、こちらから目標地点に到達する場合だけでなく、あちらから自分のいるところに到達する場合にも使われます。「品物が自宅に届いた」という場合です。

「へ」の場合、方向を示すときに起点(始点)が自分のところだという前提がありそうです。「品物が自宅へ届いた」という言い方はヘンでしょう。自分を起点としているのに、自分の居る自宅に品物が届くのはおかしいからということになります。

 

2 特定の対象と不特定の対象

では「に」が「帰着点(ピンポイント)」を表し、「へ」が「方向」を表すという説明で十分でしょうか。まだ十分な感じがしません。「に」は終点を示し、「へ」は起点からの方向を示す…と言い換えても同じです。何かがおかしい、それはどういうことでしょうか。

「に」も「へ」も、ともに行先を指し示すときに使われる助詞です。両者は違いよりも、共通性の強い助詞だと言うべきでしょう。「帰着点(ピンポイント)」と「方向」では両者の機能に違いがありすぎます。共通点の中にある何らかの相違という説明が必要です。

たとえば、「手の鳴る方に」ならば、焦点を合わせてじっと目を向ける感じでしょう。一方「手の鳴る方へ」という言い方なら、ぼんやりそちらに視線が向かうような気がします。同じ見るのであっても、「じっと」と「ぼんやり」とでは違いが生じます。

なぜ違いが生じるのでしょうか。対象となるものに違いがあるからです。「~に」と言う場合、特定された対象・領域を指し示しています。「~へ」の場合、不特定の漠然とした対象が指し示されるのです。だから自分という特定された対象に「へ」は付きません。

ここまでを再確認してみましょう。「に」と「へ」はともに対象を指し示すという役割・機能を持っています。このうち「に」の場合、特定された対象・領域を指し示すということ、「へ」の場合、不特定の漠然とした対象・領域を指し示すということになります。

 

3 「どこか遠くへ行きたい」

こうなると、「学校に行く」と「学校へ行く」の違いも学校の概念の違いになるということです。「学校に行く」と言うときの「学校」は、想定している特定された学校ですから、特定の場所にあって、なじみのある先生や学生がいるところになります。

「学校へ行く」ならば、漠然と「学校」を示しているのです。先生と生徒が集まって授業や活動が行われている場所というニュアンスがあります。「学校へ行きたい」であれば、特定の学校というよりも授業や活動に参加できる場所へ行きたいということでしょう。

川村は「醸造学科へ入学した」という表現がおかしいと指摘しています。その理由は「醸造学科」は方向ではないから、[行動の帰着点を表す「に」が正しい]というものです。本人の入学した学科なら、特定された対象だから「に」がよいと説明したくなります。

「あの書類を誰に渡したの」「彼に渡しました」という会話では、特定の対象を指すために「誰に」「彼に」という言い方がなされます。「誰へ」「彼へ」は不適切です。ビジネス文書で「~へ」よりも「~に」が多く使われるのは、当然のことでしょう。

逆に漠然とした思いを表すときの「へ」は効果的です。「知らない街を歩いてみたい どこか遠くへ行きたい」というからこそ、心に響いてきます。言うまでもなく「どこか遠くへ」の「へ」は方向を示してなどいません。どこであるか、特定されていないのです。

 

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