■「論文の書き方」の王道:中井久夫の論文作成法

1 先に議論、結論を執筆

中井久夫に何度か言及したことがある。精神科医であり、評論・翻訳で文化功労者に選ばれている。中井は医学の論文を書きながら、文学的素養もある「変わった学者」である。『私の日本語雑記』で論文の書き方に言及している。

▼生物学的医学の論文には序説、材料と方法、結果、議論、結論をこの順に書くような決まりがある。しかし、執筆がこの順序である必要はない。むしろ、議論、結論から先に書く方がよい。あとで書くとどうも文のパワーが弱くなるようである。先に議論、結論を執筆すると、そうしているうちに、材料と方法や結果の弱点が見えてくる。(p.252)

論文の骨組みは、問題提起と結論、そして理由づけである。論文の中心となるべき議論、結論から攻めて、その弱点を知るべきだという指摘は、自分の経験も踏まえてのものだろう。論文の形式とその執筆の順序の違いは当然のことでもある。

すべての材料がそろう前に、結論が見えてくることがある。そのとき書かなくてはいけない。そうしないと、せっかくのアイデアが消えてしまう。自分なりの論理展開を残しておくことが必要である。これで問題提起と結論と理由づけのスケッチが出来上がる。

 

2 だんだん全体が見えてくる書き方

中井は論文を書く場合にどう書くかにも言及している。[一気呵成に書く方法]はどうか。[短文は別として、強弩(ド)の末勢になる恐れがある。強い石弓で射た矢も最後はヘロヘロ矢になるということである]。最初に全体構成がないと緊張は最後まで続かない。

では逆の方法はどうか。[章、節、小見出し、その量まで決めてから書く人もいる。これは、いかにも堅実な方法であるが、文章の魅力に乏しく、また、執筆の途中でわく発想が入り込む余地もなく、結局、最初の企図を超えない平凡なものになる恐れがある]。

つまらない結論と理由づけが提示されることが見えるような書き方というべきだろう。そうならないように、[先に議論、結論を執筆する]のである。そこから論文に仕上げていくことになる。一気呵成に書くのでも、その逆でもない。

▼一般には、油絵を描くように、あっちを塗り、こっちを塗り、下塗りをし、削り、遠くから眺めて修正し、時には一からやり直し、というふうなことを繰り返し、だんだん全体が見えてきて、最初の意図とは少し違うものになって、最後に文章を整えて仕上げをとするのがよいのではなかろうか。(p.254)

論文を書くには、問題提起と結論と理由づけが書ける程度にまで、考えが煮詰まっていなくてはいけない。その段階で書いてみると、違うということがわかってくる。何かが違うという感覚が大切である。結果として「最初の意図とは少し違うもの」になる。

 

3 頭の中の暗闇に光を当てる効果

では論文を書きだす前に、何をしておくべきか。[まず「パレット」を作ることが、一般に行われているようである。構想、書きたい概念、使いたい文章、その他、思いつくこと、関連性のある観念、人物、書籍名、何でも書きつける]ことが有効だろう。

こうした構想のイメージを広げていく段階では、[自然に手書きになる。線引き、抹消、線で囲んで強調するなどの舞台だからである]。ここで考えがまとまってきたら、次の段階に進む。メモから文章へと進めていく段階になる。

▼「パレット」の次には、楽想の一部をピアノでそっと弾いてみる感じで、少しずつ書いてみる。白昼の光を当てると、頭の中の暗闇では充実していたはずの発想が、いかに貧弱で、穴だらけかがわかる。次に全部でなくとも、手書きを試みる。(p.256)

こうした段階を経て、[先に議論、結論を執筆]していく。[時には一からやり直し]ということがあるから[最初の意図とは少し違うもの]になる。その違うものになった分だけ、レベルが上がったというべきだろう。書くことの恩恵である。

論文を作成する過程で手書きが必要なことも、当然ではあるが大切な指摘であろう。中井の論文作成法は、良い論文を実際に書いた人の方法と言うべきである。論文を書く人の参考になるに違いない。「論文の書き方」の王道を行く方法であると思った。