■仮説と類推あるいは折口信夫の「類化性能」:知識社会・知識労働の目的

 

1 仮説の質は実力の反映

ビジネスで、仮説を出すことが大切だと主張する人がいます。一時期、はやりました。仮説が大切なのは確かでしょうが、しかし誰もが仮説を出そうとしてもあまり意味がないでしょう。いい仮説が少ないという現実があります。いい仮説が出てくるためには、条件があるように思います。

リーダー的な立場の方なら、このことを身に染みてわかっているはずです。ただ、それをあまりはっきりおっしゃいません。何となく権威主義に聞こえるからでしょうか。直接お話ししてみると、辛辣です。出てくるのはゴミばかり、仮説にもなってないと語った人がいて印象に残っています。

仮説が意味のある内容になっていなくては困ります。圧倒的な実力を発揮してきた人の仮説なら聞く価値があるかもしれませんが、しかしそんな人ばかりではありません。実力の裏づけのない人の仮説はあまり聞きたくありません。これはビジネスに限らず、すべての分野に当てはまることだと思います。

 

2 折口信夫の「類化性能」

仮説というのは証明ができていないからこそ仮説と呼ばれます。そのためセンスが重要です。このことは学術的な著作を見ても明らかだと思います。柳田国男や折口信夫の全集がいまだに読まれているのも、そこにセンスのよい仮説があるからでしょう。学問的に証明され承認されてわけではないはずですが、魅力のある著作がたくさんありそうです。

この人たちの著作をあまり読まないのに、それでも何かのときのために二人の全集をそろえています。この分野に詳しい先生から、二人は天才的だと聞いたことが影響しているかもしれません。とくに折口信夫はすごいとお聞きしました。

『私説 折口信夫』で池田弥三郎は、折口の代表的な論考である「ひげこの話」について書いています。[神の来臨の場所の問題を、例の折口の特殊な能力である類化性能を存分に発揮して、筋立てたものであった]。ここにいう「類化性能」とは折口独自の概念ですが、類推能力と言い換えても間違いでないと思います。別々なものから類似性や共通性を見出す能力です。

 神はどこかからやってくる。まず神のいる処の追及はお預けにして、少なくとも日本人のつねの生活の中には神はいない。だから祭りのときには呼び迎えなければならない。そのとき神をどこに招き寄せるか。その招ぎしろはなにか。呼びおろされた神はどこに依りついてくるか。そのよりしろは何か。
そういうことを考えていって、順序立てて、まず最初に神が寄りつくと考えられる「物」は、神が、神の肖像として認めている「物」だ。それを作って、神の目につきやすいところに出しておく。そういう「物」が発達したのが「ひげこ」だというのである。 [p.99]

この「ひげこ」が形を変えて、「幣束」や「旗さし物」「だし」「祭り屋台」「だんじり」などになったという論は魅力的な「仮説」だと思います。

 

3 知識と類推・独創の関係

折口の場合、独断的な学問とも言われていました。その折口は[自分のようなやり方は、門下生には許さなかった。門下のものの発表を聞いては、もっと材料を集めて、比較研究をしなければ、と言った]と池田は前出の『私説 折口信夫』に記しています。

不合理なようでもありますが、実際のところこれも仕方ないことだと思います。折口と門下生とでは、実力が違いすぎます。大きな違いの一つが消化した材料の数でしょう。折口の場合圧倒的な数の材料を持っていたことがうかがえます。門下生が類推しようとしても、素材となる材料の数が足りません。

神経生理学者の桜井正樹は、軽部征夫との対談(『「独創力」を伸ばす人伸ばさない人』所収)で語っています。

知識のない人からは独創は生まれないと考えています。
独創と言われているものを調べてみると、実はアナロジー、つまり類推が、かなり重要な役割を果たしています。(中略)かなりの部分アナロジーによって新しいアイデアは生まれています。だから、逆に言うと、知識が豊富でない人からはアイデアが出てこないと思う。 [p.200]

知識が豊富なら独創できるかというと、そうではない。勉強時間を覚えることばかりに使って、考える習慣が身についていない人はダメですよね。知識と発想というのはまさに車の両輪で、考える習慣と知識の両方が必要だと思います。 [p.202]

 

4 知識社会・知識労働の目的

よい仮説は独創につながります。よい仮説は知識を基礎にして、考えつづけることによって生まれるようです。ジェームズ・W・ヤングは『アイデアのつくり方』で、「アイデアとは、既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」と書いています。

よい仮説を出すためには、知識を増やすことが必要不可欠だということです。知識社会・知識労働の目的は、たんに知識を増やすことではなくて、そこから新たな高付加価値の製品やサービスを生むことにあります。知識を増やし、類推能力を養成していくことでよい仮説を生み、さらには独創を生むことが目的だというべきでしょう。

前出の桜井が[量子力学の創始者の一人、シュレーディンガーのシュレーディンガー方程式だってアナロジーのようです]と言うのに対して、軽部は[マクスウェルの電磁気理論がなければ、シュレーディンガーだって量子力学に行かなかったわけでしょう。だからやっぱり類推なんですよね。そして幸いなことに、近くには独創につながる材料がいっぱいあった]と答えています。

よい仮説を出せと言ってもあまり意味がないということです。その前提として、学習を通じて材料を自分のものにしておく必要があります。知識量を軽視することは大きなリスクがあるということでしょう。

 

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