■形態とはどんなものか:ポストモダンの方法
1 モダンとポストモダン
ドラッカーは1957年刊の『変貌する産業社会』で、モダンの[世界観はデカルトのもの]であると書いています。モダンの考え方とは、①全体は部分によって規定されること、②定量化をもって普遍的基準とする…という2つの考えを中核におくものでした。
もはやモダンの考えだけでは現実の世界で対応できません。ポストモダンの世界で重視されるのは、全体像を見出すことです。部分は[全体との関連においてのみ存在が可能]というものになります。そこでの[秩序とは、全体の目的に沿った配置のこと]です。
1989年刊の『新しい現実』で、ドラッカーは[グローバル経済、地球環境問題]など[今日われわれの直面する現実は][すべてが形態的]であると記しています。このとき、モダンで使った「分析的論理」に加えて「知覚的認識」が必要不可欠だと言います。
2 形態とプロセス
ここでドラッカーのいう「形態」に注目してみましょう。前出の『変貌する産業社会』では、ポストモダンの世界で[実際に仕事をしている人たちは、形態とプロセスのコンセプトを理解する。それどころか、形態とプロセス以外は眼中にない]と書いています。
プロセスはわかるように思いますが、形態というのはわかりにくい用語です。佐藤康邦は「自然の形、文化の形」(『生命とシステムの思想』所収)で、形態を取り上げたうえで、一般用語としての定義であるなら[空間的な延長とその限定]で足りると言います。
しかし、部分を集めて全体像を作ろうとするモダンの還元主義に対立する概念としての「形態」となると自明ではありません。佐藤は「構造」の定義を確認します。形態と構造の関係は[建築における外観のデザイン(形態)と骨組(構造)との関係]に似ています。
3 生物学的世界観
音の形態がメロディであるように、絵画の形態は[デッサンと色彩]です。佐藤はセザンヌの言葉を引用します。「われわれは彩色するにつれデッサンするのである…色彩が豊富になってはじめて形態も充実する」。線だけでは形態になりません。色が必要です。
構造の定義をピアジェは3つの条件で示します。①[全体が部分あるいは要素に優越する]全体性、②あらわれたものは唯一絶対のものでなく、他の存在でもありうるという変換、③法則にそった恒常性があるという自己制禦…ということになります。
どうやら常に変化していく存在であるとともに、ある種の秩序・法則をもつ構造であることが形態の特徴のようです。『新しい現実』に[機械的世界観から生物的世界観への移行]とあります。生物なら体の構造が保持されたまま、成長していくことになります。
こういうものの全体像を把握するには、定量化できる「分析的論理」だけでは不十分です。「知覚的認識」が必要だということになるでしょう。たとえば絵画を見たり業務を記述する練習は、全体像をつかむための訓練につながります。感じ取る能力が重要です。
★参照 ⇒ 「ポストモダンの本質」