■読解問題の解きかた・取り組み方:文章訓練の一環として
1 読解問題…最初の文が重要
読解問題に取り組むときに、役に立つ原則があります。最初の文をしっかり読むことです。問題を作る場合、長い文章の中から問題文を切り取ってくることになります。どこから切り取るかということは重要ですから、問題作成者は最初の文が気になります。
たとえば最初の文が以下の文から始まる文章問題があります。<常識を信じる人間は、あくまでも知ることへの憧れは持ちながらも、しかしこの世界には神のようにすべてを統一的・体系的に眺め渡す中心的な場所はないという悲観論のうえに立っています>。
多くの学生が、この文章に戸惑います。たしかに分かりやすい文ではありません。このときある種の補助線があれば、すぐにわかるようになります。その補助線が主述関係です。主語は何であって、述語は何であるかという主述関係をおさえることが重要なのです。
2 主語が何であるのかをチェック
前出の文の主語・述語は何でしょうか。わかりやすいと思います。冒頭に「常識を信じる人間は」という主語がおかれ、文末が「立っています」という述語になっています。主語と述語をつなげると「常識を信じる人間は、立っています」という文になります。
文の骨格となる内容は、たいてい主述関係を見ればわかります。文の主役の役割を果たす語句を、主語にすえるのが原則ですから当然です。逆に言えば、主述関係を見ても文の骨格がわからない文の場合、主語の選択を間違えている可能性が高いといえます。
例文の骨格が「常識を信じる人間は、立っています」であるなら、どこに「立っています」ということなのかに目がいきます。「悲観論のうえに」でしょう。「常識を信じる人間は、悲観論のうえに立っています」となります。これが文の中核的内容です。
3 文をわかりにくくする要因
例文をもう一度確認してみましょう。意味が取れるはずです。<常識を信じる人間は、あくまでも知ることへの憧れは持ちながらも、しかしこの世界には神のようにすべてを統一的・体系的に眺め渡す中心的な場所はないという悲観論のうえに立っています>。
では、この文のどこが不適切だったのでしょうか。文の意味をわかりにくくさせていたのは、何だったのでしょうか。最大の要因は一文が長すぎたことです。「あくまでも知ることへの憧れは持ちながらも」という部分をカットしたほうがわかりやすくなります。
文の文字数が80を超えてくると、一読してもわかりにくくなりがちです。一つの文に情報を盛り込みすぎたために、文が長くなったのです。カットした部分が大切な内容だとしたら、別の文にすることになります。あえて言うほどでないなら省略することです。
<常識を信じる人間は、この世界には神のようにすべてを統一的・体系的に眺め渡す中心的な場所はないという悲観論のうえに立っています>。これならわかります。読解が得意な人は重要部分をさっとつかみとり、それ以外をカッコに入れながら読んでいるのです。