■文章の基準:川島武宜『ある法学者の軌跡』から(その1)

1 研究生活のメモワール

川島武宜(たけよし)は民法学者であり、法社会学者としても著名な人でした。『日本人の法意識』が岩波新書から出ています。お読みになった方もいらっしゃるでしょう。この本と、<自分の研究生活のメモワール>である『ある法学者の軌跡』は残すべき本です。

<全くリラックスして話すことができた><このしごとは、まことに楽しいものであった>。<約40年間にわたる過去について語る><楽しい談話ののちに、こういう形で本になった>と『ある法学者の軌跡』(1978年刊)の「はしがき」に書いています。

この本には、川島の勉強の仕方など、学者でなくても役に立つ話がたくさん盛り込まれています。たとえば文章について語った部分など、どういう文章がよい文章なのか、どう書かなくてはいけないのかなど、重要な指針が示されています。

 

2 「翻訳される文章」

川島が文章を書くときに一番重視するのは、論理的であることでした。<私は論理がはっきりわかるものを書きたいと心がけてきました>…と語っています。そのためには、どうするのが良いのでしょうか。

<ヨーロッパの言葉に翻訳する場合には一語一語おき換えていけばいいような構造の文章で書きたい>…とのこと。なぜなら、この<スタイルの文章が一番論理的に明確なのではないか、と、考えるからです>。翻訳に堪える文章を書くということでしょう。

川島の本には、「翻訳される文章」という小見出しがついています。川島自身、日本語訳を作るとき、<日本語で明確な表現をすることがいかにむずかしいかを痛感した>と言います。外国語という違った体系の言語を扱うことで、自分の日本語を鍛えたようです。

 

3 論理が明確な文章とは

翻訳可能かどうかが指針となっていたようです。かつてのトップクラスの学者に求められた基準でした。石崎政一郎は、<フランスで学位をとられた方です>、<先生に言われたのです。「正確に論理が表現されていないと、翻訳できませんよ。」>…と。

先生は、「…と認める」という文章について、「この『認める』というのは君が認めるのか、第三者が認めるのか、アプルーブする意味か、それともただ認識するのか、一体どの意味だ。ぼくは大体こういう意味だろうと思うけれども…」と言われるのです。

誰が認めるのか、その主体者が明確でないと、論理的でないということです。逆に言うと、論理的な文章にするなら、まず主体が何であるのかを明確にしなくてはならないということになります。そして、述部にあたる部分をぼやかさないことが重要です。

論理が明確な文章とは、<すぐに外国語になるような明快な文章>だという言い方が出来そうです。いまやグローバル化したビジネスの世界でも、同様のことが求められています。自分の文章が翻訳に堪えるかどうか、意識する必要があります。

→[論文の書き方…につづく]

 

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