■話し言葉と書き言葉:口語優勢の時代に意識すべきこと
1 話すように書く?
文章を書くときに、気楽に一歩を踏み出せるようにという配慮なのか、話すように書いたらよいというアドバイスが、いまもあるようです。まだそんなアドバイスが生きているのかと思います。話し言葉が、そのまま文章になる人は例外です。
かつて司馬遼太郎が桑原武夫に、フランス語について、話し言葉を記録すれば文章が出来上がるようになったのは、いつ頃からかと聞いていました。桑原の答えは、今でもそうはなっていない、というものでした。
演説をするときには、原則として事前に原稿を書いているそうです。きっちり言わんとすることを語ろうとしたら、事前に文章にしておくことが必要なようです。こうした準備がないと、だらだらとしたお話になりがちです。
2 文章を書くとなったら…
大野晋は『日本語について』で、ヨーロッパ在住の友人から聞いた話を紹介しています。<ヨーロッパの人の言葉は、たいへん論理的だという話になっているわけだけれども>、フランス人も会話のときには、<簡単にみんな省略して話すんだ>とのことです。
(フランス人は)ひとたび文章を書くとなったらきちっと書く。どうも日本人はそこのところのけじめがつかない。文章を書くときになっても会話のようなつもりで書いているという話になったんですね。
話すことと書くこととは、条件が違っています。大野は言います。<日本語の会話では多くの場合、相手の知らない情報、相手の知らないことだけ交換すればいいという習慣があるんです>。日本語の場合、わかっていることを省略する傾向が強いのかもしれません。
ドイツ人のレビンという日本語学者が、日本語の小説は途中から読むととてもわかりにくいけれども、頭から読めばわかると言ったそうです。これを受けて大野は、<日本語には場面とか文脈に頼った表現が非常に多い>と指摘しています。
3 読むことが先行する
話すように書いてはいけないのです。文章に書くということには、思考を反復可能な形式に固定するという機能があります。何度となく読み返せる形になっていたならば、あとになって、おかしなところを修正することが可能になります。
文章を読み直して、おかしいと感じるところを修正することによって、論理的な形式、あるいはわかりやすい形式に変えていくことができます。したがって、自分で自分の文章を適切なものに直せる人が、文章の上手な人だろうと思います。
その前提として、自分がすばらしいと感じる文章の形式を知らなくてはなりません。自分で形式を作れなくても、いい事例があれば、どう書いたら良いのかのお手本になります。お手本から学んでいくことが基礎訓練です。読むことが書くことに先行します。