■日本語の「主題」について 2/2
1 主題が文になる場合
日本語の主題には、助詞「は」が接続するという説明に賛成できずにいます。助詞「は」が主題を表す印だとしたら、機械的に主題がわかりますから、魅力的かもしれません。しかし、「~について言うと」と言いかえが出来るのが主題のはずです。
「…ですが」をつけた場合に、主題となることもあります。さらに、主題を文にすることも出来ます。「あそこにいる男性が担任の先生ですが、いつも丁寧に教えてくれます」という文の主題は、読点の前までの節ということになります。
主題になる文(節)は、説明・定義の文に限ります。「誰は誰です」「何は何です」という形式の文のみが主題になります。状態・状況を表す文、行為・存在の文に「~が」をつけると、逆説になります。「雨が降っていますが、私は出かけます」といった風です。
2 明確性の基準
日本語の文を述語の品詞をもとに、名詞文・動詞文・形容詞文に分けるのが通説ですが、これに違和感があることを、以前書きました。代わりに、説明・定義の文、状態・状況の文、行為・存在の文に分けて考えたらどうかと言いました。
このうち説明・定義の文の場合、文を主題とすることもできます。ただ、これが好ましいわけではありません。先の文が主題となった事例も、「あそこにいる男性が担任の先生です。いつも丁寧に教えてくれます。」…のほうが明確です。
また、「象は鼻が長い」という文よりも、「象の鼻は長い」という文のほうが、明確です。述部の主体がわかりやすいからです。主体でないものに「は」をつけると、その語句が強調され、その結果、その語句が主題になります。しかし強調は例外とすべきです。
3 必須成分の概念
日本語のバイエルでは、前回述べたように、「前提」という概念を採用しています。TPOにあたるものです。ここに主題も含まれます。「必須成分」の「前提」という意味です。この「必須成分」の概念について、若干の注意が必要です。
佐治圭三は、必須成分を「動詞に属する語が、成分をまとめて文を作るうえで、その語が一つのコトを描くためにはどうしてもなくてはならない成分」と定義しています。しかし同時に、形容詞文の説明にも、必須成分の概念を使っています。動詞に限りません。
主述関係を示すのに必須の成分だから「必須成分」です。そこに「前提」を規定することによって、制約条件が付加されることがあります。「我思う、ゆえにわれあり」というとき、昨日の我なのか、どんな我なのかが問われることがあるということです。
4 日本語の論理プロセスと文構造
日本語文の場合、「前提」と「必須成分」の二つの要素が文の中核をなします。二つは性格が異なりますから、はっきり区切られたほうが明確な文であると言えます。主題が文になる場合、前提の部分を文に独立させたほうがわかりやすいのも、そのためです。
少し前に、日本語の論理プロセスを日本文の構造から探ろうとするアプローチをご紹介しました。日本語は、大きな概念を徐々に絞り込んでいく思考形式だとの説でした。しかし、前提となる領域を示して、その領域内を記述する二重構造だというべきでしょう。
文構造は文書構造の小宇宙をなしているのかもしれません。日本文の構造を探ることにより、おそらく日本語の論理プロセスが垣間見えることでしょう。さらに、文書構造をどうすべきであるか、ヒントが得られるのではないかと期待しています。