■音楽を書く:ドナルド・キーン『わたしの好きなレコード』

▼明確な自説の主張が魅力

音楽について読ませる文章を書くのは、よほど実力のある人でないと難しいだろうと思います。音楽について書く場合、客観的な基準を提示することはほとんど無理ですから、どうしても、その記述の中心部分は、主観に基づくものにならざるを得ません。

文章の中にさりげなく、自分の感性に基づく主張と理屈を書き込まなくてはなりません。自分の主観をどう根拠づけるか、が大切な問題になります。それに成功した場合、読者は、その人の感性を認めてくれることでしょう。

日本文学研究のドナルド・キーンの『わたしの好きなレコード』を読むと、この人の実力がわかります。あくまでも自分は素人であり、音楽について語るのは、余技であると言いながら、専門の日本文学について書いたものと較べても、まったく見劣りしません。

素人の立場を生かした明確な自説の主張が魅力になっています。たとえば、音楽はメロディーこそが魅力の源泉であると主張し、レコード録音が通俗的な曲に集中したり、音楽の楽しみから遠い難解な現代音楽を評価する風潮に、苦言を呈しています。

 

▼感覚・感性を語るときの記述方法

キーンは、アメリカにいたとき、いい演奏をたくさん生で聴いています。レコードも、とにかくよく聴いています。専門家を名乗っていないだけという気さえします。ここで注目したいのは、自分の経験や好みを語るときの、記述の仕方です。

ビョルリンクは、まだこれからもという年齢で亡くなってしまったのだが、わたしはたまたまその死の直前に行われたニューヨーク最後のコンサートに出掛けたのである。もう最高というしかない出来ばえだった。感激のあまり、われを忘れたひとりの若者が舞台に駆けあがって、ビョルリンクに握手を求めた。びっくりしたビョルリンクがそれに応じると、聴衆全員が、まるで自分達自身がこの偉大なる歌手と握手をしたかのごとくにうれしくなって、拍手喝采を送ったのだった。

さりげなく書かれた一筆書きから、一人の音楽家の名前が忘れがたいものになります。自分が好きだった歌手の最後のコンサートが最高だったこと、それを聴衆全員が共有したこと、その聴衆の振る舞いが好ましく立派だったこと、これらがこの文章からわかります。

名人芸のようです。しかし、その論理構成は、わたしたちでも使えるものです。自分の感覚・感性を根拠づけるときに、(1)自分の感じた結論を示し、(2)同じように感じた人がどれだけいたかを示し、(3)その人たちの感性が信じられることを示す…という方法です。

 

▼学ぶべき記述の工夫

ベスト盤を選ぶときの記述方法も、「お見事!」と言うしかない構成をとっています。「“三大”だけがモーツァルトではあるまいに」で、コシ・ファン・トゥッテの4組のレコードを比較しています。その中核部分の展開は、以下のようになっています。

(1) どれもすばらしい演奏で、独自の長所を誇るすぐれたレコードであると認め、
(2) ≪オペラを聴くのは、まず何よりも歌を聴くためであって、指揮ぶりに耳を傾けるのは二の次≫という洞察を示します。
(3) あえて選ぶならベーム旧盤だと言い、≪ほかの歌手たちをもその並外れた高さにまで引き上げていると思われるシュヴァルツコップの声ゆえに≫と理由づけます。
(4) さらに、スタジオ録音の長所を指摘して、音楽をレコードで聴くことは、生演奏で聴くことと別の喜びがあると指摘しています。

感性を語る場合、その理由づけが勝負を決めます。寄り道をしているように見せながら、本筋を押さえている記述を読みながら、ビジネス文書を書くときにも、学ぶべきところが多々あることを感じました。

 


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