■日本語変換ソフトを入れ替えての感想:日本語文法の問題点

1 日本語変換ソフトの基礎単位

今頃になって日本語変換ソフトをIME2010に変更しました。これまで変換効率をよくするために私が主にしていたことは、単語登録の工夫でした。ところが登録した単語が消えたり、単語登録ができなくなることが何度か起こったため、IMEを変更しました。

PCに詳しい人はもっと早く入れ替えをしていたのでしょう。よい機会だったと思います。単語登録をするとき、品詞を聞かれるのはご存じの通りです。登録する単語は名詞が圧倒的でしょう。やや特殊な名詞と同音異義語がうまく変換できれば楽になるはずです。

現在の変換効率ならば十分な実用性があります。デジタル入力が主流になるのは当然でしょう。変換をするときに、文節が基準単位になっています。長い文を入力したあと変換キーを押すと、前から後ろまで、次々文節で区切られて変換しているのがわかります。

 

2 文節は文を書くときの基礎にならない

機械が日本語変換をする場合、文節を単位とすることは合理的な選択だといえそうです。しかし人間が文節を基準にして文を作ることなど、あり得ないでしょう。文節というのは「ね」をつければ区切れる単位です。文を書くときの基礎にするのは無理があります。

現在、学校では、文節というものを中心にした橋本進吉先生の考え方を基礎にした文法体系を教えています。橋本先生の文法論は、文法学としてたいへん優れたものだと思うんですけれど、それは学問としてであって、日本語上達の術としてではない。

これは橋本進吉の弟子である大野晋の言葉です。『日本・日本語・日本人』で語っています。3人の対話ですから鼎談になります。気軽な雰囲気の中で一番の問題点を指摘しました。日本語変換ソフトが採用する文節中心の文法は機械にとって合理的なものでした。

一方、私たちが文を入力する場合、事前に頭の中で文を完成させているのが前提になっています。頭の中で文を作っていくとき、文節を単位として文を構成しているわけではありません。これが大野の指摘です。文節は文を作るときの基礎になっていないのです。

 

3 「構造」を中心にした構築が必要

日本語の場合、文末の述語が文の意味を決定づけます。文末が「…である」と「…でない」の違いだけで、意味が大きく変わるのは言うまでもありません。述語が示す内容の対象となるのが、述語の前に並んだ語句です。並んだ語句を述語が束ねています。

文を書くときに、述語まで頭の中に思い浮かんでいることが重要なのです。丸谷才一が『思考のレッスン』で<文章心得の一番基本的な点>として、<ものを書くときには、頭の中でセンテンスの最初から最後のマルのところまでつくれ>というのは当然でした。

変換ソフトが採用した「文節」は、すでに完成した文を入力し変換するのに、合理的な基礎単位でした。しかし頭の中で文を作るときに、文節に基づいて文を組み立てるのは不自然で、おそらく不可能でしょう。既存の日本語文法は機械向きにできているのです。

文節というのは要素の単位であって、いわば部品の分解単位にすぎません。文の意味を決めるのは、「要素の並べ方」にあるというべきでしょう。「要素×構造⇔機能」という原則からいっても、日本語文法は「構造」を中心に構築されるべきだと思います。

 

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