1 マニュアル概念の変化
マニュアルのない仕事ですという言い方をするとき、それが自由であることの証であるようなニュアンスで使われることがあります。manual wark とか manual labor という言葉は、肉体労働と訳されていましたから、無理のないことなのかもしれません。
1960年代以降、肉体労働と呼ばれる仕事はどんどん廃れていきます。ドラッカーは肉体労働に将来がないと言い、肉体労働が社会から敬意を持たれなくなったことを、衰退の根拠としていました。その頃の manual の概念自体がもはや廃れたというべきでしょう。
現在では付加価値のある仕事をしなくては、企業も収益が上がらなくなっていますから、かつての言われるままの仕事ぶりでは通用しません。最前線で働く現場の知識を活かす必要があります。従来のマニュアル概念は通用しません。そこには自由が必要です。
2 自社における組織の理論
ハイエクが on the spot の知識と呼んで現場での知識を重視したことについて、青木昌彦は『移りゆくこの十年 動かぬ視点』で言及して、注意を促しました。すべての業務に対して、管理側が中央集権的に指示を出すのは無理だということです。
業務の質が上がるたびに、最前線でのスタッフの能力を重視するしかなくなります。この人たちはプロですから、そのプロの力を活かす必要があるということです。どうしたらスタッフが成果を上げられるのか、企業ごとに様々な工夫が必要になります。
「現場でのスタッフの力を活かす仕組みがどうなっているのか」についてを記述したものが業務マニュアルの重要項目になります。さらにビジネスモデルを記述することが業務マニュアルの重要な柱になるはずです。こうした面での文書整備は、かなり遅れています。
前述の青木昌彦はハイエクに注目しながら、同時に「ハイエクにとって、企業は企業家個人に過ぎないのであって、組織としての企業の理論がないのである」と記しています。自社における組織の理論が必要です。これは20世紀後半から整備されてきたものでした。
3 プロの仕事に必要なルール
ドラッカーは1966年の『経営者の条件』で[現代社会では、経営管理者ではない者の多くもまたエグゼクティブである]と記しました。ベトナム戦争でアメリカ軍は最前線の兵士に具体的な指示を出せませんでした。歩兵大尉の話を、ドラッカーは記しています。
▼「ここでは、責任者は私である。しかし部下がジャングルで敵と遭遇し、どうしてよいかわからなくとも、何もしてやれない。私の仕事は、そうした場合どうしたらよいかを予め教えておくことだ。実際にどうするかは状況次第である。その状況は彼らにしか判断できない。責任は私にある。だか、どうするかを決められるのはその場にいる者だけだ」 『経営者の条件』エターナル版 p.24
プロの仕事ならルールが必要です。スポーツにルールブックが不可欠なのは当然でしょう。さらにプロであるならワンパターンの仕事にならないことも当然のことです。ビジネスプロセスを中心にすえる発想では、業務の記述が不十分になるともいえます。
全体を見てどうすべきかを考えることが不可欠です。これが業務マニュアルの大切な価値判断基準になります。部門ごとの最適を集める部分最適でなく、全体を見たうえで最適なルールを作るのが組織の責任です。現場のプロに仕事を任せるときの基本といえます。
業務マニュアルの再定義が必要です。記述内容をあらためて考える必要があります。「業務マニュアルを作っても業績に関係ない」という発想を過去のものする必要があるでしょう。自社のビジネスモデルを把握していなくては、モデルチェンジもできません。
⇒ cf. 【 組織としての企業の理論:マネジメントの基礎 】